イエシュアの足跡を辿って生きる シャバット | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

パウロは、”形ではなく、頭脳の割礼”=新しく

された人の実態を生きる事が大事だと言ったのですね。

 

それは、割礼が終って大事ではないなんて話でも

何でも無いのです。

飾りだけ付けていても、中身が無ければ意味ないと

パウロが言って居るのです。トラーが終った、

割礼が無意味なんて一言もパウロは発言していないのです。

実態がなく、意味がない中身がない、主の言われた実態

を、命を持って、意味を持って、主の意図通りを生きない

なら、それらは全て”虚しい”と言う事です。

 

主が永遠に定められた日を、人が変えてもなおも主の

目からは、なにも変わっていない。

主の暦では、神の家の子らは、イスラエルの神

が呼び出した日に御前に出るようにと書かれています。

 

金曜日の日没から、土曜日の日没までが、一週間に一度の

神の定めた呼び出し日。

この日は、家庭に於いてする、過ごす。どこかに行き、

活動をする日ではなくて、自分と家族と仲間のための日。

止まって、相手の声を聞く、関係を修復する、愛し

愛されている事を確認する日。

 

この日を喜び祝う。

驚く事に調べて行くと、このシャバットを強制的に止めさせ

ようとして来たのは、ローマ皇帝です。

少なくとも、イスラエルの神は、二心有る様に、永遠

不変と言った後、やっぱり変わりました〜なんてそんな矛盾

した事絶対に言いません。

 

19世紀頃まで、世界のあちらこちらにも、”残りの民”は

主がちゃんと置かれて居た。”ローマ”政府、ローマ宗教とは

係わらず、宗教の教えを聞か無かった人達。

ただただ聖書を読んで、聖書に書いてある通りを信じていた

人達が居たのです。

ローマ政府、宗教の権威と関係を持たない人達は、使徒達と

同じ様に、パウロと同じ様に、預言者と同じ様に、

イエスさまがこの地上で生きてお手本を見せた様に、同じく

聖書=トラーを信じ、学び、シャバットを祝っていた事実が

あるのです。アジア圏でも多くの人達がシャバットを

祝い、パウロ達の様に生活していたのです。

 

同じ神の家の子らは、神の指定した、神のデザインした

神が決めた日に神の御前に出て祝う。

 

一つ家族は、一階と二階に分かれて、それぞれが勝手に

造り出した日を、別々の内容を、別々の祝いの日を、

別々の教えの指導の元生きるのではないのです。

小学生が、教室で、先生の号令にも、指示にも皆が

騒いで、無視して、それぞれが勝手に思う所をする様な

そんな事では、一つ頭脳、一致なんてどうして出来るのでしょう?

 

イスラエルの一つ神の指揮の元に、神の家族は全員で、

美しいハーモニーを奏でる一体である姿に造られたのです。

 

これこれは、イスラエルに与えられたもの、これこれは

異邦人に与えられた教え、別ものなどと言う教えは、聖書の

どこにも書いては居ない事、聖書をそのまま

読んで見れば、はっきりと書かれていますから分かります。

その様な聖書とは違う発言をし続け、信じ続けて行く場合には、

本当に迷い出て行ってしまうのです。

二つの神、二つの福音、二つの教え、二つの契約は

書かれては居ないからです。

 

一つの神、一つの契約、一つの福音、一つの家族、

一つの国=神の家に住まうのです。

 

イスラエルが代表で受け取り、全世界の家族へ、国民へ

同じ命、同じ祝福を分かち合うために、ただ代表として

選ばれた。

でもその人達も今大変な、み言葉を聞けない飢饉に

直面している事実。

 

なぜ聞けないのか? 神の言葉ではなくて、宗教の教え、

人間の教えを神の言葉に混ぜてそれが神の言葉だと

思い込んでいるからです。

 

果ては、古代カバラー、ニューエイジ、その他諸々の

新興宗教に迷い出る多くの人達がいる悲しい現状。

家族の長として選ばれた人達は、重たい重たい責任を

負わせられている。世界が混乱に陥っているのは、

イスラエルがズレているからなのです。

そして、残りの家族を迷わせて行く。

 

人は神の言葉を捨てたら危ない。

安全地帯、神の家=囲いの中の外に出たら、そこは猛獣がいる。

目に見えないけれど、放射能があり汚染される。

神の言葉=トラーは人間への保護ガード。

 

神の言葉を捨てたから、それらが大事だと思わなくなる。

命の源だと言う事が分からなければ、世界は闇に

導かれて行ってしまう。

 

Shabbat Shalom