パウロは西洋ローマ宗教の創始者ではない | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

パウロや使徒達が、トラーを変形させたり、付けたし、

削除、まして捨てる訳ない理由は聖書に書かれています。

 

地の塩=契約の命を保つ役割、世の光=主の真実を

全世界の中で現す役割を与えられているからです。

神の言葉を捨てる、変形させる、付けたし、削除する

人達を、イスラエルの神が預言者や、使徒達には、

選ばないからです。

 

主が語られた通り=トラー=主の御口自ら語られた

通りそのままを、保存する人達=地の塩の役割を主の意図通りに

遂行する人達を、預言者、使徒として選ばれたのです。

 

異邦人は、やはり”神の言葉”=永遠に値する永遠不変だと言う

その重さに気がついてないのではないだろうかと思います。

 

神の言葉は、神の言葉なのです。

 

神の言葉とは、人間が手を加えたり、削除出来る様な性質の

ものではない。

神イコール=”言葉”なのですから。神御自身に人間が手を加える

事など出来ないからです。

 

陶器が陶器師に対して、被造物が創造主に対して、何か付けたし

出来るのであると言う意識こそがハター=ズレ=罪。

 

私達は、神の言う事=言葉を只”シャマー”するのみ。

聞くと書いてある、従うではなくて、只聞く。

神の言われる言葉が理解出来たら、その通りにするでしょう。

だから従うと訳されているのです。この従うと言う訳は

取り消して、聞くと言う言葉に変更した方が妥当です。

従うと言う訳と、聞くと言う訳は、全然印象が違うからです。

 

聖書を読み間違えて=イエスさまが昇天されたので、新しい教え

が出現したのだと言う先入観から聖書を読み、それを代々他者に

伝達し続けているから、そう思い込んで居るだけなのです。

 

西洋宗教を造りしたのは、西洋人異邦人達であり、

ヘブライ人ではない事は、聖書に、歴史の史実に基づき、

確認すれば分かります。

聖書の中には、ローマ宗教なる内容は書いてないからです。

 

神殿崩壊された70AD、それ以降数々の重なる事件の

元、聖書の純粋性が人の手に依り変形されてしまった

数々の出来事、事件の上に、4世紀、

ローマ皇帝コンスタンテイヌスが即位した後、

彼が異教の神々の教えと、人間哲学=ギリシャローマ哲学を、

神の言葉、教えの中にふんだんに混ぜて造り出した同化した

教えに変形させ、それを国指定の宗教に作り上げた。

 

そして宗教会議=325AD ニカイア会議で西洋人教父達が

皇帝コンスタンテイヌスの編み出した教えを、

正式に”ローマ宗教”の柱であるとして、認証してしまったと

言う経緯があるのです。

だから、神の仰せ=言葉とは異なる違う様々な物を

認証しているのです。

変形させたイスラエルの神の言葉、教えを、人間の会議で

正しい事だと決める、認証する事自体が変なのです。

1列王記12章のヤラベアム王のズレと同等です。

イスラエルの神=聖書だけに基づく土台にすべきなのに。

 

パウロは、もちろん4世紀当時には、存在していませんし、

その会議に参加していません。

もし、パウロがそのニカイア会議に参加出来たとしたら

神の言葉に対する様々な冒涜、挑戦に対して、

”たくさんの異議”を命がけで申し立てた事でしょう。

 

そしてパウロがローマ宗教の教え、その様な教えを、

考えを説いた、生きた形跡は聖書の中に完全にゼロです。

 

その様な教え自体、聖書が書かれた時代には、

存在していない。私達は、”新約”と呼ばれてしまっている

箇所に、西洋宗教の新しく出現した教えが書かれていると

思い込んでいるのです。

 

聖書の中に存在していた、”イエシュア”を信じる人達=

彼らは殆どがへブライ人、そして少数の異邦人達でした。

全くヘブライ人=イエシュア、使徒、預言者と

同じ信仰、生き方をしていたのです。

当時のユダヤ人の信仰の中の一つの派=イエシュアを信じる

人達として認識されていただけです。

西洋ローマ宗教の教えなんて、それこそ想像にも上らない

ものだったのです。

 

続く