ブログ記事とは、短くまとめて書くのは本当に
難しいですね。端折って色々完結に説明なんて本当
無理だなと思いながら書いてますが、
前回の記事の続きです。
ヤラベアム王が何を考え、どう思ったか詳細は
書かれていませんが、主の言われた事とは異なる事を、
自分の考えで勝手に造り出し、更に祝いの日まで
別の日付けに変更し、人々に祝う様にした事は事実です。
ヤラベアム王は、主の前に良い=トーヴ=主の意図通りを
していると思っていたのかもしれません。
主のために素晴らしい教えを、私は造り出しているのだ〜。
主のために、色々労苦して造り出しているのだ〜。
主のために、色々やっているのだ〜。
主のために”より素晴らしい教えを造り出す”?と
言う考え自体がズレていると気がつかない限り
全ては始まらない。
イエスさまが言われた言葉が響いて来ます。
”わたしはあなたを知らない”
詰まり、イスラエルの神の意図通りを生きない
場合、それらはイスラエルの神と何も関係ない、
知らない〜と言う事になってしまうのですね。
余計な事しないで、主の言われた通りに忠実で
あれば良いのに。
イスラエルの神に造られた人々は、イスラエルの神の
言う事だけを聞けば良いのに。
人に求められているのは、それだけなのに。
シャマー イスラエル! アドナイ エロへイニュ
アドナイ エハッド。
聞きなさい。イスラエル。イスラエルの神、主は
只一つの神、と言われる通り。
だだ、主の言われる事=神の言葉を、聞いて
その通りを受け取り生きるだけ。至極シンプル。
至極簡単。
金の子牛、自分の思い、考え、自分の手の業で
イスラエルの神を拝むため、改良した進化した自分の
編み出した独自の”主の祝いの日”を造り出す。
人が神に対しての挑戦をした、あのバベルの塔と同じ
出来事です。
人が”神の完璧”な業=それは、神の暦=定めの日も含めて
神が指定した、造り出した物に対して、バベルの塔を
建てるが如くに、下から上への努力、付けたしで、
自分の手で主のデザインを、改良、変形、作り上げてしまう。
そして、”高き所”=神の祭壇をエルサレム以外に
勝手に建造して、造り出しています。
自分の考えで、自分の思いで。
神の家はたった一つ=エルサレム以外にない。
神が指定した通り、そのままそっくりを、
神の意図通りにエルサレムに造る以外は無い。
自分勝手に神殿を、高き所を造ってはならない。
そして、神のデザインした暦、命のサイクルを生きる事。
神の定めた時=祝いの中で、それを生きる様にデザイン
されたのは、イスラエルの神です。
主に造られた人達は、主の意図通り、主の中で、
主と一体、本体と影の様にピッタリ生きる時、
命が栄光が光が輝き出る様にデザインされている。
そう造られているからです。
そして、人間が主のデザイン、主の暦、定めの時を変える
権利、余地もないですし、それはイスラエルの神から、
許されている事ではないと言うのが本当の事実です。
気がついた時点から、気がついた人が、やはり真実を
語って行かない限り、主の言葉は別の教えで覆い隠されて
行ってしまいます。
続く