イスラエルの神の”定めの日” 呼び出し日 ヨム  テルアー  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

一旦”西洋宗教出現の経緯”についての内容を脇へ置いて、

重要な日、祝いの日に突入する時が来たので、

その事に関しての記事をUpしたいと思います。

 

明日10月2日、日曜日の日没から特別な日が

始まります。

ユダヤ暦の第7の月の1日。

人が、主からいつ呼び出されているのか、招かれているのか、

神の定めた祝いの日がいつなのか、本当の日はいつかを

知るには、聖書に戻り確認すれば、それがいつのどの日で

何の意味で招かれているのかを知る事が出来ます。

神の暦も、定めの時も永遠不変だからです。

現代でも、どこの国に住んでいても変わりなく同じです。

 

全ては、聖書=神の言葉に戻って確認すれば良いのです。

 

レビ記 23:23 

主はまたモーセに言われた。

 

<ここに注目。永遠不変の神が、永遠不変の神の言葉を

御自らの口、直接語った言葉が書かれています。>

 

23:24 「イスラエルの人々に言いなさい、

『七月一日をあなたがたの安息の日とし、ラッパを吹き鳴ら

して記念する聖会としなければならない。

 

この箇所、イスラエルの人々=出エジプトして来た人達、

イスラエル=この中にもイスラエルの神の言葉を信じて

一緒に脱出して来た異邦人達もイスラエルとして加えられて

居るのです。

私達、イスラエルの神=イエシュアを信じる人達全ても

同じイスラエルの大家族の中に入れられている事実が

あるのです。

同じ囲いに入られた、同じ木に接ぎ木されたと聖書に

書かれている通りです。私達も同等に招かれているのです。

 

 ”モアデイム”は、シャバットとしてスタートします。

今日は週の中のシャバットの日です。そして明日日曜日の

日没もシャバットになります。

たまたま今年は、日曜日の日没が、祭りの”シャバット”

に当たります。

 

ヨム テルアー ショーファーを吹き鳴らす日。

この意味は、また次の記事に書きますが、

角笛は、好き勝手に好きな時に吹き鳴らすものでは

ないのです。

これは、神の言葉と密接に繋がりがあります。

そして、”聞く”と言う事に繋がります。

 

神=ことばとある通り。

私達は、神と言葉により繋がる、かかわる、知る、体験する

関係を持つ様に造られています。

 

人と人もそうです。だからコミュニケーションは全て

言葉=それが無言であっても、文字であっても、

絵であっても、”言葉”=メムラ=神を通して

私達は、繋がり、生きる様に造られているのです。

 

私達は言葉=神により造られているからです。

私達のエッセンスは、神=言葉により造られた事実を

知れば分かる事です。

 

私達は、”使う言葉” ”伝える言葉”により、神の言われる事

ぴったり意図通りに伝わるのか、または違う意識で伝わって

しまうのか大きな違いがあるのです。

 

例えば、キリスト教会の中の教えで、頻繁に使われている

”従う” ”服従する”などのこれらの言葉は、ある意味

何とも言えない”いや〜〜〜な感じ”のする

特殊な意識を生み出す言葉です。

多くの人は、窮屈に感じる種類の言葉として

認識するのではないでしょうか?

 

この”服従” ”従う”と言う言葉は、実はオリジナル聖書には

只の一度も出て来ない言葉なのです。

 

ヘブライ語では、この従うと翻訳されている言葉は、

”シャマー” ギリシャ語では”フパコー”=聞くと

言う言葉です。

本当の意味の言葉に直す、戻す必要があるのです。

ただ”神の語る言葉を聞く”だけなのです。

神の言葉を聞いて、分かればその通りにするから

従うと訳されただけなのです。

 

本当は”聞く” 本来の意味に直して、聖書を

読み直すと、神の言葉に対して、神の言われる事に対して、

全然違った印象を持つ事に気がつくのです。

 

明日から始まる一連の神の招きの日。

全ては神の言われる事を”聞く”と言う事から始まる事が分かる

一大イベントなのです。

 

 

Shabbat Shalom