時計がはや回りしているような、あっと言う間の一週間。
イスラエルは毎日50度近く気温が上がります。
暑いですけれど、朝夕は寒いと思うほど。
空気は清涼感があり、木陰も涼しい。
ヨナが”とう胡麻の木”に癒された事が実感として分ります。
灼熱の太陽の下、ちょっとでも木陰、日陰さえあれば、
涼しくしのげるから。
今日はシャバット。昨晩のErav Shabbatの準備は、
午前中掃除洗濯ゴミ捨てなど終らせて、買い出しに。
土曜日は、お店は閉まるので、金曜日は買物で街中が
賑わいます。
今回も32名ほどの大きな集まりになり、家の中はフルハウス。
それぞれが持ち寄った食事と、いつもの通り、祝福の祈り、
歌、そして、ワイン、ブドウジュースで乾杯。
その後に、ハーラーのパンをちぎって皆に回して頂きます。
食事の後は、ゲーム大会。30人が一斉にゲームをして
すごい大騒ぎに。
笑い声と悲鳴に家中が溢れている。
小学生みたいに、我を忘れて皆が楽しんでいる。
シャバットは隣り近所も音楽やバーベキューやら、歌やら
踊りやら、友だちとの宴会を心ゆくまで楽しむ日。
シャバットは人のためにあるとイエシュアが言われた通り。
イスラエルの神の仰せは、宗教をやるためではなく、
人が主の似姿で生きるための全て。私達が守られるための
保護ガード=契約=神の言葉。
友だちと楽しく過ごす、宴会する人が嫌いなんて人は居ない。
皆シャバットを心から楽しみにしている。
アメリカの”ガーフィールド”と言う漫画の猫が、
”I live for Friday."と言う台詞を言っていたのを思い出します。
道路も車が走らないので、家族で散歩する人達や、
子供達が夜遅くまで外で遊ぶ。
シャバットは楽しいと言う雰囲気が街全体に溢れています。
国全体が”イスラエルの神” ”全宇宙の王の王” ”主の主”の
お招きにより、”止まる!”=シャバット。
主の御前に出て、命を祝福する、祝う。
何はともあれ、”主が招いて下さっている” 王宮の宴会、
ローヤルファミリーの一員としてその事実を皆で
思い起こす日です。
永遠から永遠に変わらない神の招きの日。シャバット。
シャバットに入って行く。シャバットにいざなわれる。
シャバットは福音の原点。
“シャバット” 神が創造の手の業を止めた=完了の姿から
神の似姿を永遠を生きる様に造られている。
”シャバット” 主のされた完了の業の中から残りの6日間を
その姿から生きる。
神の言葉は永遠不変。どこにも変化がない。
主が私達を永遠の招きに入れて下さっている。
永遠の婚姻契約が存在する、神の言葉が永遠不変に
今も生きて居るその”印”がシャバット。
生きて喜び祝う印=シャバット。
神の完了の業で止まる=シャバット。
それを、1週間に一度のリマインダーとして、共に主の前に出て、
喜び、祝う日。
本当の自分を1週間生きて来ましたか?と神から問われる日。
皆で一斉に振返って、主の御旨にピッタリ照らし合わせて
省みる日。
家族と忙しくてゆっくり話す時間も無かったら、この日に
時間を取る。忙しくても止まる。
修復や、回復は、放置していれば、出来ない。綻び、誤解、
伝えたい事、言いたい事は、本当はその日その日直ぐ
修復しておく。
でも、出来ない場合は、この一週間に一度のシャバットで、
止まる。全部の事を横に置いて。
互いのために時間を取り分ける。
家族が、友人が、お互いに向合い、お互いを聞く、見る、
同じ契約に入れられている事を、確認し合い、互いからも
修復、癒しを受け取る。純粋な愛を受け取るその
原点に戻る。リセット。
この世の他の全てが造られる前に、あった光。
主が”光あれ!”と言われたあの光は、神御自身の光。
私達の内側を照らすまことの光。
その光の源は、神から出たもの。その光は、神の言葉によって
命じられ、出て来たもの。光=ことば=神御自身。
詰まり、メムラ=言葉 言葉=神。一体、実態だと
書かれています。
神の言葉の中に入る、聞く=神の内側での体験をする事。
神の言葉に入る=神の光の中に入る。
そして、純粋な混ぜもの無い、神の言葉=光の中で、光の子、
神の子として一瞬一瞬を今日も生きる事を、思い出す。
シャバットで皆で思い出す。
同じ”契約”に入られた本当の”イスラエル”の民達。
神の真実の中で、一つに繋がれる。神の真実の中だけに
引き寄せられる。
Shabbat Shalom