命の継承 シャバットの中にあり | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今週6日の間、前回の”シャバット”から一週間を
生きていたのかなと振返る。

”永遠からの完了の業” 主の似姿の人=本当の自分で生きる事
に、一瞬一瞬 注意を払っていたのかな?それとも生まれつきの
人のまま思うままに任せて、無造作に生きてたのか?

”全ての思索をキリストイエスにあって捉えて”

”主の似姿の人である事を常に常に自分に語り続ける”

何をするにも”神の栄光”=主の似姿を反映させて。

”寝ても覚めても食べても飲んでも道を歩いていても
常に常に主のトラー=言葉を思いめぐらして。
神の言葉以外の何ものも、取り込まない。”

自分が誰であるかを思い出す教育ツールがちゃんと
置かれているのです。
シャバットだけを取り出しても、どれか一つだけを取り出し
ても、主のデザインされたその全てを丸ごと捉えないと見えて
来ないのですが、全部を丸ごとで捉えて理解すると見えて来る
世界がある。

日々のリマインダー。
一週間に一度のリマインダー。
月に一度のリマインダー。
一年に渡るリマインダー。
これらが、何なのかが分かると見えて来る。
リマインダー=思い起こさせるためのもの。

親心。神のデザイン。私達を守るためのそれらの
リマインダー。イスラエルの神の家、ローヤルファミリーの
一員である、ダントツに飛び抜けて目立つ”印”を
与えてくれている。世界の異教の神々に仕える人達とは
全く違う印。その印は、他の人を“本当の創造主”に引き寄せる
ためのもの。

それらは、私達が死んだ人の脳回路の枝を離脱して、
”主の似姿の人”の脳回路=良い地=トーヴの地に蒔かれる
種、枝 木々、実を付けるためのもの。
出来るか出来ないか、見張るためのものではない。
全て100%主の仰せは、可愛い子供達、
私達を守るためのもの。

シャバットは、完了の業の集大成。
これで完了。付け足すものは本当はもう何も残っていない。

人間に与えられている事は、これを”塩”漬け。保存。
地の塩。主の似姿である人を生きる事を保存する。

単純な事だと分かって来ます。

でも、分からないんですよね。。これが しばらくの間。
考え続けない限り、分からない。脳回路の枝が極小では
見えて来ない。脳回路の枝が出来て来ると見える。
だから、考え続けよ 常に思いめぐらせと言われているのだと
分かります。

何故なら、”今まで奴隷”で生きて来たし、別の色眼鏡で
培った脳回路の枝から眺めるから、”歪んでしまう自己像”と
”他人像” と”全ての価値観”は、この世で学んだ先入観
その”色眼鏡”を通していては見えない。

使徒11のペテロの様に、直接イエシュアに出会ってしまった
パウロの様に、脳回路の枝を離脱する作業が必要なのですね。

”この世”の価値基準で学んだその脳回路の枝がある限り=
二心と言われる、その死んだ自分で学んだ枝を削ぎ落とせば、
主の目が見ている通り、主が言われている通りを見る事が
出来る様に人はデザインされている。誰でも分かる。

それが、シャバットの醍醐味です。
原点に戻る。自分がどこから来たのか?誰に造られたのか?
何で造られたのか?そして、今どう生きるのか?
主の意図からズレていたら、戻る、修復する。
オリジナルのデザインの姿、自分と家族と仲間と
確認し合う。そして、主の前に皆で出て、”完了の業”で
生きられる事実を、喜び祝う。繋がる。

私達は、互いに繋がれている。
そして一体=シャローム。
1人ワンマンショーの世界ではない。
それぞれがそれぞれの”聖別” 神の目的の上に分たれた
人々。誰一人欠けても、一体ではないのですから。

そして、1人1人がユニークな見方が出来る。
その人にしか見えない世界がある。それを互いにわかち合えば
広がる。主の造られた世界がどんどん見えて来る。

一つの鏡では、一面しか映らないけれど、何面も何面も
互いに映し合う事が出来れば、どこまでも永遠に
反射、反響し合える。
その唯一の条件は、”主の中で、主の真実の中だけで
見て行く事。” それ以外では、別の物が映し出されたり、
曇っている部分があれば=主の言葉とは、真実とは違う事を
取入れてしまえば、だから見えなくなって来る。

続く