ショッキングな前提 人のために全てが造られた | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

なぜ神は人を造られたのでしょう?と言う質問を
よく聞きます。

神は人を造り、人は神に熱心に仕えるために造られたのだ~!
と言う教えが主流なのではないかと思います。

神が寂しかったから?それでは、”在りて在る神”の
ヘブライの神の性質とは、異なる事になってしまいます。

”在りて在る神”と、ヘブライ語で書かれている中身の
コンセプト、そこからズレた考えを決して
取り込んではならないと言う事も分かって来ます。

神が寂しいから造った、イスラエルの神は、神御自身の
存在だけでは何かが、神の中に欠損、足りないから
人を造ったなどと言う教えを
取り込んで行けば、真実から違う方向へ意識が、
導かれてしまいます。

神が寂しくて人を造ったら、”共依存”関係と言う
不健全な関係が成立してしまいます。
人が居なくては神は存在出来ないと言う事に
なってしまうからです。
それは、神御自身が語っている、御自身の性質とは
異なる。有り得ない、違うコンセプトなのです。

人が居なければ、神は存在出来ないのですか?
ちゃんと考えて行けば、変だと気がつきます。

真実に、聖書に必ず照らし合わせて、そこから考える。
真実だけを発言する。
自分と他者を、違う福音へ導かないために。
人の教えを混ぜて造り出しては、真実からズレて行って
しまいます。

聖書には、はっきりと書かれています。
神は人を造り、人が”神”を、神の造られた美しい世界を、
創造物と一体で共に喜び楽しむため。


神の造られた美しい、素晴らしい世界を喜び 楽しみ 
エンジョイするために、神の世界=喜びの園をガードする。
神の造られた美しい世界、人間だけが楽しむのではなく
神の創造物も神の造られた世界を、エンジョイ 喜び
楽しみ、享受するため!

シャバットは、人のために造られたと言う事に繋がって
行くのです。

全て美しいもの、全てのトーヴ、よきものを受け取り、喜び 
楽しみ、輝いて人々がエンジョイするため!

そして、この世界を神の様に、ルール 統治する。

この世の王や、政治家がこの世界を統治すると言うと
私達の耳にはどの様に聞こえるでしょうか?

”人を支配して、自分の利益の為に人を働かせる、使う。”

政治家になれば、甘い汁を吸えると言うのはそれが
あるからですね。
政治家が庶民より貧乏なんて聞いた事ありませんし。

人のために仕えると言うより、偉くなり人を自分のために
こき使う、利用して行く、そしてお金がっぽり入る?
と言う図式です。

どんな文化、国に住んでいても同じでしょう。

お偉いさんが、人のために、あくせく働いて仕えると
言うよりは、政治家になれば、偉くなれば、王になれば、
色々ベネフィットあって良いねって感じでしょう。
お金も、権威も自由自在に操り、人の事なんて
二の次みたいな状態。
そう言う人ばかりではないけれど、世界の主流はその
状態。

でも、創世記1に書かれている事は何でしょう?
人が造られた。人は奴隷として造られたのではない。
神の造られた世界の全てを、人が治めると書かれています。
世界をルール=統治するとは、どういう事でしょう?

人は、神の造られた世界をガードし、守る。
エデンの園をガードせよ!と人は神から申し渡されたのです。
何故でしょう?

主の造られた素晴らしく、美しい世界の中で、皆が
安全に住まう事をガードするため。
安全に保たれるため。
喜びが破壊されないために。

アボダーと言う言葉は、Serve仕えるとか、礼拝とも訳され
いますが、人間の本質、神から与えられた仕事=生き様
生きる本質を表す言葉です。

誰かが誰かをコントロール、支配、操縦、操作するのでは
なくて、皆で神の造られた世界を、神の意図通りに
皆で共に治めるのです。

だから、人に命令して、人を操縦する意識は
始めからズレたものだと分かります。

お互いがお互いの役割がある。
これが、”聖別されている”の本当の意味なのです。
後に説明を加えますが。

生きる=アボダー=神の造られた世界を治め
ガードする。それが人間の仕事=アボダーです。 

続く