神が変わらないと言われているから、神の言葉を決して付け加え、差し引き変えてはならない | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

もし、人が言う所の”イエスが来られたから、違う教え
違う福音が来た”とするなら、先きの婚姻契約は破棄されて、
新しい契約が来たのだとする教えに照らし合わせるとするなら、
聖書の中で、様々な矛盾、辻褄が合わない事が見えて来る。

二つの神、七変化の神、変わる神 神の言葉が伝える
イスラエルの神像とは全く違う神だと分かる。

言って居る事が、矛盾している事に、翻訳聖書を
読んでいても気がつく。

辻褄合わない、その一番の代表は、”神は、神の言葉は永遠に
変わらない”と言われているそれに照らし合わせれば、
変わると言う教えと100%相反する事が分かる。

神は変わらないと言われているのに、なんで変わるのだろう??
と単純な疑問を、幼い子なら持つと思う。

私が信じた一番始めにまずその”疑問”が
浮かんだ事を今でも思い出します。そして質問した。
でもその答えは、結局人造の教えだった。
それからもずっと”なぜ違う、変わったのか?”と言う疑問を
抱いて来た。

”神は永遠不変、神の言葉は変わらない”と
目の前に書いてある事を、誰も信じていない不思議。
でもイエスさまが来られたから、呪いの律法は破棄されて
様々な事が変わったんだよと言われ続けて来たら、
そうかなと思い込んでいた。でも真実ではない事に対して、
疑問だらけだった。


何で変わるの?神は変わらないと言われているのに?
なんで イエスさまは、ヘブライ人ではなく、
西洋人みたいなの?聖書の中を見ても、弟子もパウロも
西洋人宗教の教えなど教えていないし、生きてない。
しかもそんな西洋人教父の教えなどは聖書に書いてない。
そう言う疑問を放置しないで、追求して来ると
ちゃんと分かる。変えたと言う教えには、原因がある。

誰か=人間が違う教えを造り出した。
誰かが神の言葉を変形させた。

そして、今も分かるのは、ネット上で見る、英語訳の
訳=様々に改ざん付けたしされた聖書翻訳版を
見つける事が出来る。

誰かの意図通りを伝えたいためにだと思う。

聖書は、ヘブライの世界。そう書いてあっても“ヘブライ”
意識さえ出来ないほど、とってもヨーロピアン アメリカン。

私は、ヨーロッパで これが”キリスト教”の源だ~と
感激していた。その通りです。
西洋人教父が造った教えの発信地、源だから。

でも、イスラエルの神って、イスラエルだった。

そんな当たり前の事にさえ、盲目、気がつけないままだった。
イエシュア=ヘブライ人としてイスラエルに生まれたのには
意味がある。メルキゼデクに属する天の祭司として。
ダビデの家系、ヘブライ人、ユダ族の家系から出る
その人として。
当然なのに、当然と分からないまま。混乱の頭だった。
そして、変えられた様々な神の教え、特別な神の招集して
定めている日。みんな変えられている。変だと思っていた。

イエシュア ハ マシアは、永遠から居られると
書かれている。トラー、預言書、諸処、聖書の至る所に
書かれている。ヘブル1にも、ヨハネ1にも、
そう書かれている。
ヨハネ1は、創世記のはじめのアラム語の聖書と
同じ通りを書いているのです。

2000年前に突然現れて、その時まで全然違った教えで、
状況で、神は人の中に住まわれない?助けない?ではなかった。

常に同じ、共に居る神。
同じ対応、同じ助け、同じアハバの愛を注いで、保護して
下さる神。何も変わらない。永遠から同じ神と言われている。
はじめのはじめから神は、人と共に居られた。
2000年の間、放置なんてしていない。内側に
同じ様に住まわってくださった事がちゃんと書かれ居てる。

インマニュエルの神。荒野を付いて行った岩。
岩、水、雲と火の柱=同じエハッドの神が居られたと
書かれています。

イエス=創世記1に戻ると、はじめから”イエシュア”は
永遠から居られる。同じ神、同じ福音。
預言者の警告は、トラーに戻れ! この”婚姻契約の姿”に
戻れ!

でも、イエスさまの人々への教え、警告はトラーを
破棄しろ?と、言ったのでしょうか?古い教えは、呪い、
私は新しい教えを教えに来た、モーセのトラーを忘れよ!
と教えたのでしょうか?
聖書のどこにそんな事が、書いてあるのでしょうか?
見つける事など出来ません。それらは真実ではないから。

辻褄合わなくなります。

ヨハネ5:39 あなたがたは、聖書=トラー 預言書、諸処
の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、
わたしについてあかしをするものである。

5:46 もし、あなたがたがモーセを信じたならば、
わたしをも信じたであろう。モーセは、
わたしについて書いたのである。


矛盾に気がつく。誰かの伝える言い伝えではなく、聖書に戻り
確認すれば、真実は永遠にそこにある、人の目に気がつかれ
なくとも真実はちゃんと眠っている。発見される事を
待っている。