まっさらな花嫁 神の最高の宝 婚姻契約に入る儀式 シャブオート | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

荒野とは本当に不思議な場所です。そして、神の声、言葉だけを
聞き分ける訓練の場所でもあるのです。

そして、荒野の中は、命がふんだんに眠る場所。
命が芽生えようと、生ける水を待っている。
命が芽吹くために必要なのは、生ける水だけ。

その荒野、シナイ山に来て婚姻契約に入る。
神の声だけを、言葉だけを聞き分ける訓練に入る旅。

ペンテコステ=シャブオートは、変貌の旅の目的地。

変貌と言うプロセスを通って、この場所に導いて来た
そして、”イスラエルの神、御自身”の元に引き寄せて
この”婚姻契約”に入ったのです。

出エジプト19:4 『あなたがたは、わたしがエジプトびとに
した事と、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所に
こさせたことを見た。

今、今を見失うなら、今を生きる事が分からなければ、
神の言葉 声を聞き損なうと言う事です。

今!!!今なのです。私達は今永遠の神の中、永遠の中の今、
神の中、天の現実の中に、この世に居乍ら、同時に天の
現実=神の中に存在している事を自覚しなくては
“婚姻契約、結婚生活の旅路”は、始まらないのです。

神の家=ハ バイトは、死んだら行くのではない。
今も神の国、神の家の現実の中、神の御座の目に居る事を
どれだけの人が自覚しているのでしょう?

今を見失えば、未来に繋がらない。
過去も未来も、神の言葉 言う事を聞き逃してしまう。

今日と言う日に主に出会う。主との本当の関係の中に
留まり続けよと言われているのです。

べ コリー=わたしの声の中でと書かれているのです。
神の声の中、神の言葉 真実の中だけに留まるならばと、
条件付きなのです。
 
神の声に従え、服従せよではないのです。
単純に神の言われる言葉を曲げないで、
そのままを聞くと言う事です。

”シャマー” 聞く=神の言葉をそのまま主の意図通りを
聞けば、分かるからです。
神の言う事が分かればその通りを生きるから、
だからシャマー イスラエル!と言われるのです。
イスラエルよ聞け!あなたの神はエハッド=一つであると。

分断バラバラ、二つの言葉、二つの契約を持つ神とは、
イスラエルの神の性質ではないこと、はっきり書かれています。

過去の、又未来への恐れ、恐怖に埋没し、本当の自分を
見失ってはならない。
神の言葉、声あなたは今それを聞く事が出来る。
べ コリー 私の声の中で私の言葉、声を聞くなら。

この言葉を語っている”イスラエルのこの”声のトーン”
が聞こえますか?

あなたは、シナイ山の婚姻契約で発せられる、
このイスラエルの神の言葉 声を、どんなトーン 
声音で聞き取って居ますでしょうか?

この声は、どんな声音なのですか?
とって~~~~~~~~~もそら恐ろしい”怒りの神”の
声なのでしょうか? それでは、どうやって”花婿”の声を
聞き分けるのでしょう?
イスラエルの神の声は、怖くて、恐ろしくて、怒り満載?
クリスチャンはどうこの声を聞いているのでしょう?

“怒りの神の声” それでは、一体どんな”婚姻関係、
婚姻生活”に入るのでしょう?

びくびく どきどき おどおど 緊張して、
いつも頑張ってパフォーマンスしてないと
怒られるかも~ 地雷踏むかも~。
下から上への、ズレた努力を続けてしまうでしょう。

何何して神を喜ばせよう~クリスチャンの世界の典型的な
反応は、ユダヤ人の伝統的な受け取り方、神への記憶と
全く異なるのです。

だから怒りの神、恵みの神と言う教えが
西洋宗教の神学の中に有るのでしょう。

ユダヤ人は、その様に神の声を捉えません。
はじめから”アハバ” 愛に満ちた神と認識している。

伝統的なユダヤ人のコンセプトは、神はこのシナイ山で
”臨在”を表して下さったその声音はSweet.
ドルチェ~です。甘いトーン、優しいトーン。

神は永遠に”愛” ”恵み” ”憐れみに満ちた”神と
はじめから言われているのに。
聖書に書かれているイスラエルの神の真実とは相当かけ
離れた意識、教え。

続く