人の間に住まわれたイエシュア 主の現実が現れる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

イスラエルの神は、幕屋や、神殿やそんな狭い所に
住まわないと書かれていますね。
その意味は一体どう言う意味?

”人の手に依り造られた所には住まない”
神と言われるでしょう。
本当にその通りです。主はそんな小さな場所=ハ バイト=
神の家=ミシュカンに閉じ込める事が出来る様な存在
ではない。
全宇宙より大きい、無限大の存在だからそう書いて
あるのですね。

でも、地上で人々が肉眼で見られない天の現実を
肉眼で見るための、”シャドーコピー=”天にある神の家
そして、その家に人と共に住まう主の現実、臨在を
見せた事は事実でもあるのです。

だから、イエシュアが、この世界に来られた事も同等に
そうでしょう。

全宇宙の王の王、主の主が、なんで人間の肉体の中に?
人の子として生まれて来たの?
そんな小さな器の中に入れるの?
様々な制限の中に神が生きるの? 現れるの?
全宇宙より大きなイスラエルの神が?と
同じ事なのです。

永遠からある”救い 購いの現実” “神にデザインされた
人間の姿”を、人のために、この地上、あの歴史の一点の
あの神の選ばれた場所、神の家の子の姿を表す場所、家、
国民、イスラエルと言う“神の選んだ人の生きる姿、
デザイン”の国!に、ユダヤ人として生まれて来られた
イエシュア=神が人として現れたのでしょう。
それと同じです。

人の中に住まう、人の間に住まう、人と同等の関係に
降りて来て、関係を結んでいる事を生きて教えるために。

イスラエルの神=聖霊は、始めからインマヌュエル=”神、
人と共に居まし”は永遠不変なのです。

出エジプト後の、人々の状態=意識は奴隷のまま=罪人意識、
神の目から自分が誰かを見る事を知らない、そう言う
状態だった事。

イスラエルの神に対して、エジプトで学習、習って来た
”異教の神々”に対するやり方で、関わった事。
そして、二心の人達=イスラエルの神に、エジプト
この世の神々に関わる方法=自分の努力の手で近づこうと
した人達3000人が打たれた。

偶像礼拝=自分の手の業で神に近づく=これが一番の問題点だ
と分かります。

”主のデザインした通り” 神の指定した通り、主の真理の中だけ
で、そのやり方、方法だけで神に近づく。
これが重大ポイントなのです。

主の言われた通りだけ。それは聖書の中に顕著に見る事が
出来ます。
主のデザインから外れたら、破壊だからです。

だから、”主の言った通り”そっくりそのままを再現=幕屋、
神殿を造る時も、全ての指示の中で、神の言った通りと
言う事が見えて来るのです。

神の言った通り=命の木から、そのやり方だけ 
その食べ方だけそれ以外は、”死”だと言われた通りなのです。

厳し過ぎ~ いや、人間のまことの命が守られるためです。
人は、主の意図通り以外を生きたら破壊されるからです。
何も分からない奴隷意識=厳しいと思う。
それは、ただ主の真実が分からないから、何が人を
破壊するのか、知らないとならないからなのです。

全世界がこの様な事態に陥った原因は、本当にシンプルです。
”神の言われた事を退けた” 食べては駄目と言われた
”知識の木”から、いとも簡単に”蛇の嘘”に耳を傾けて、
食べただけ!!この事に何れだけの人が注意を
払っているのか?
だから世界は、継続して、破壊の土壷に侵入して行く。

続く





7週 7回のシャバット マッツア=要らないものが
削ぎ落とされた人は、その初穂=最良の粉に、
イエシュア=パン種を入れられて主の似姿の人にふくれ
上がる 二つのパン=イスラエルと異邦人。
主の福音は永遠から同じ=主の似姿の人が取戻されている
事実だけを伝えている。



初穂=最良の収穫物=主の似姿の人をはじめから主は
人々に教えている




シナイ山で起こった出来事 婚姻契約を、光と音のサウンド
ショーの中で、全世界へ向けて宣言された
これが使徒2章に繋がるのです。全世界へ同じ婚姻契約は
開かれている 永遠から。イスラエルだけのものではない。
イスラエルは、世界へ同じ契約の祝福を分け与える役割を
与えられた人達。イエシュア=長子=イスラエル=そして
全世界の国民が同じ一つの契約に繋がれるため。