それぞれのエジプト脱出劇  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

昨日は、金曜日 普段の日だったので”過ぎ越”のセーダーは
6時半から。
途中イスラエルとも繋がり長い一日でした。

今日は午後早めの夕方からもう一度 セーダーの晩餐の
一連をゆっくりひとつずつ全部解説を入れてやり直し
てみました。

ひとつひとつの食べ物、そして儀式には深い意味があるのです。
イエスさまは、この晩餐の時 毎年”過ぎ越”を祝う度に
”主のされた購い 死と命”を思い出すために、
購いの杯と、マッツアを食べて思い出してと言われたのです。

パウロや弟子達もイエスさまが昇天した後も、変わらずに
シャバットとモアデイムだけを祝っていたのです。
もし、今日、ここにパウロや弟子が居たとしたら、同じ様に
この”過ぎ越”のセーダーの晩餐を祝っているのです。
主の契約が永遠に存在する永遠の印、主の仰せだから。

そして、イエスさまが再び来られたら、その時も
ずっとこのモアデイムを祝い、都上りをすると
書かれています。しかも、エジプトまでがエルサレムに
都上りをするとある。

仮庵と書かれているのは、モアデイムの最後の締めくくりの
”定めの時”だからです。

ゼカリヤ 14:16 エルサレムに攻めて来たもろもろの
国びとの残った者は、皆年々上って来て、王なる万軍の主を
拝み、仮庵の祭を守るようになる。

14:17 地の諸族のうち、王なる万軍の主を拝むために、
エルサレムに上らない者の上には、雨が降らない。

14:18 エジプトの人々が、もし上ってこない時には、
主が仮庵の祭を守るために、上ってこないすべての国びとを
撃たれるその災が、彼らの上に臨む。

14:19 これが、エジプトびとの受ける罰、およびすべて
仮庵の祭を守るために上ってこない国びとの受ける罰である。

今年もたくさんの発見が有りましたし、また今週もずっと
その発見が続いて行くのです。

モアデイムとは、”主の指定した時”季節と訳され居てる、
モアデイム。月、太陽、星、このモアデイムを司っている
主の暦のために造られたのです。

私達の中に命のサイクル。主の義がどんどん増加わる、広がる、
成長する事にも繋がります。

詩編23:3
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを
正しい道に導かれる。

これは、ヘブライ語ですと、主は私の“全存在”を
生返らせる=元の状態に修復 主の中に引き戻した。
主の御名=主の実態に於いて、わたしを、
主の義の道=この道は、命のサイクルです。
グルグルグルグル 車輪が周りながら、どんどんどんどん
道を進んで行く そんな意味です。
グルグル増し加わる=主の実態に、義の中に、大きく深く
成長して行く事実が書かれているのです。

続く