聖書に書かれている事のテーマを読み取る事は必須です。
それぞれの箇所に書いてある論点が何か?を、
書かれている内容からはっきりと知れば、読み取る事が
出来ればそこに書かれている事が分かって来ます。
ローマ2:13
なぜなら、トラーを聞く者が、神の前に義なるものではなく、
トラーを行う者が、義とされるからである。
これは、トラーを生きるから義とされると言う意味ではなく、
主の似姿の人はトラーを生きる=義とされていると言う
実態を得ている証拠の生き方と言う意味でしょう。
その人の願望=主の御旨ピッタリ=トラーに書かれた
人の姿の実態がその人の願望丸ごと。主の御旨に
沿った願望を100%生きる!
実を見て木を知るが如く。
主のデザイン=トラーにピッタリ、トラー=肉体を取って
こられたイエスさまの姿そのものを生きる。
生きる事はキリスト。全部同じ事を話している事が分かって
来ます。
主の似姿で主の似姿を生きる時、主の栄光が現れるからです。
14 すなわち、トラーを持たない異邦人が、自然のままで、
トラーの命じる事を行うなら、たといトラーを持たなくても、
彼らにとっては自分自身がトラーなのである。
これ本当に思いめぐらしました。
頭では知らなくても、腹に書かれたトラー=DNA=神の
性質に造られているそれを生きて居る人がいる。
なぜ?人は神の似姿に造られている。
だから、神のDNA=腹に書かれた
トラーを生きる事が自然、願望で人がいる。
良心と言うものが人にはあるでしょう。
本来の姿=神の似姿=それに逆らえば、痛いし、傷つくから
分かるでしょう。頭ではどうしてそう思うのか
分からなくても。
理屈ではなく、分かる。それが主のデザイン=DNA
=腹に書かれているトラーだからです。
主よ主よと 主の御名で何かする人を退ける=主の意図から
外れているから。主の御名の乱用。たくさん祈るから
聞かれると思う異邦人=祈り=主の御旨と照らし合わせる
事をしなければ、ただの無駄な言葉と化して消えるからです。
でも、”いつあなたにそんな事しましたか?”と主の意図通り
をする人を主がトーヴ=神の意図通りの姿を生きて居ると
見ていた事を考えれば見えて来ます。
実態が大事なのだと言う事。
15 彼らはトラーの要求がその頭脳にしるされていることを現し、
そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互に
あるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。
まったくその通りです。私達とて、主に出会う前も
良心があり、そんなに悪人として生きていたのではない。
続く