歴史線上に物事を見ると ベールがかかる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

イエスさまが来られるまで”救い”は無かったのだと
私は以前は本気で信じていましたし、思い込んでいました。
その理由はそう教えられて来たからそうだと思い込んで
いたのです。
聖書には、そうは書かれていない事知らなかったからです。
いや、目の前にあっても、書いてある事実を事実として
読み取れないままでした。

プラス“ルアフ”=霊も人の内側にあの2000年前まで
住まわれないと言う教えを信じていた。では、古代の人々は、
預言者や使徒達はどう主=イエスさまと対話していたの
でしょう?
聖書の事実とは辻褄が合わない教えになってしまう。

人の内に”ルアフ ハ コデシュ”がなければ、人は
イエス=主と認識出来ないとあります。

プラス特別に選ばれた人だけが、神が内側に住まわれて
関わっていたと言う教え=完全に“人造、人間の教え”です。
勝手に聖書を曲げないで~の世界に突入しているでは
ないですか。
主は誰に対してもえこひいき、分け隔てないと
書かれている。

聖書を読めば、翻訳でもはっきり分かる。ダビデは主の救い
購い、血や水、火でのきよめ 許し=完了の業、神殿での
出来事、儀式その意味~福音の全てをはっきり知っている事
ちゃんと読み取れます。

しかも”聖霊”=ルアフ ハ コデシュを自分から取り去ら
ないでと、不安ゾーンにスリップ別のマインドで物事をみて、
不安になってそう訴えているでしょう。詩編51

聖霊時代 暗黒時代、怒りの時代、恵みの時代、新しい
救いの時代、どうして”神御自身”をそう分断
するのか?エハッドの神は永遠不変なのに。

そして、人は最初の最初から、”ルアフ”=霊を吹き入れられて
生きる存在になったと書かれている。そのニーズを
イスラエルの神、創造主は何千年も放置するのでしょうか?
もしそんな神だとすると、相当ひどい神と言う事ですよね。
それは、イスラエルの神ではない。
その”イスラエルの神像”自体、初めから歪んでいます。

生んでおいて子どものニーズを放置する? 育児放棄? 
変だと考える方が妥当です。人をえこひいき、飢餓状態に
さらしたまま放置する神?

人間は初めから同じ人間。ニーズも同じなのに。
どの時代も、どの人も同じ”神に造られた”人でしょう。

しかし聖書にその様なイスラエルの神は、
書かれては居ないから、イスラエルの神がどんなお方であるか
その根拠を聖書の中にはっきり掴む事が出来ます。
神の言われる事実を知る事が出来る。
人の唱える教えとは異なると言う事がはっきり分って来る。


同じ神=唯一の神なのに。。。宗教 人の教えは神の
言葉の意味、内容を変形させて行く。変えて行く=別の福音に
走っていると言う警告通りです。

神は永遠に変わらず同じなのです。神御自身が
そう言われている!
神がそう言われている事にどの位の人が、”アーメン”と言う
のでしょう。聖霊に導かれるなら、神の言葉が絶対であると
言う事は、認識出来る、理解出来るのです。
主がそう言われる=永遠不変、だからそうだと分かる。


続く