今聖書を最初の三分の2をくまなく読みとられ
理解されているケースは、余りないと聞きます。
世界的に。
いや、聖書自体が余り読まれていない現状です。
ユダヤ人もトラーではなく、タルムードを学んでいるそうです。
トラーの中身、真実が失われている現状。
聖書とは異なる、人の教えの混ぜられた書を学ぶ。
トラーが読まれていない、プラスその内容を、
主の意図通りに、理解されないまま、人の教えと
色々混ぜられて宗教の教えと化してしまっている部分がある。
プラス聖書の最後の三分の1は最初の三分の2と
相反した別の教えが書かれていると誤解している。
一体何だろう?の教えです。聖書とは異なる教え。
分断された2つの聖書、二つの福音、二つの契約
プラス、2面相のイスラエルの神。
神の言葉=聖書は二つ存在しない。全く同一同じ言葉。
その概念を削除して、見れば全く一つ一貫して同じ福音
同じ契約、聖書はどこを取っても、モーセの5書以外の
内容が書かれていない事、翻訳でもはっきり
分かるはずなのです。
そして、古代の人達の方がよっぽど救い、購い、罪の許し
復活の命、神の義、神の似姿にされているその詳細を、
深く知っていたのです。
何故? トラーに描かれた事を、イエスさまの姿、
神の似姿の人=修復された人の姿が何であるかを、
語り継がれ、知り、教えられて来たからです。
”残りの民達”は、どの時代も救いを知っていた。
救い=イェシュアと言うヘブライ語。
過去から未来へそれを見て、私達は現在から過去へ
地上で表された永遠から存在する、”完了の業”を
見ているのです。どの時代の人も、救い=イエシュアを
信じる人達はいる。
残りの民=カハール=エクレシア=主に造られた、
主と顔と顔を合わせる内側の親しい関係、婚姻関係の
中に加えられ続ける人達がいる。
救い=イエシュアの事をどこで教えられたのですか?
トラー、預言書、諸書を通して、
神の家の中=幕屋=神殿と言われる場所。
レビの祭司達を通して、コバーンの儀式を通して、
教えられていたのです。
その教えの中身はトラーに書かれている内容です。
人間の生きる姿の全てです。
イスラエルの神とは?神の子=神の似姿の人とは?
その人達はどう生きるのか?生活の細部にわたる全てを
教えられて来たのです。トラーを元に。
神の家で教えられて来た。
モーセの契約 婚姻契約の印である、
シャバットを通して、一年に渡るモアデイムを通して。
神の臨在が宿る、神の家の子達の姿をその中で、
様々な儀式を通して教えられていたからです。
これは以前にレビ記の記事でも少し書きましたが、
神は私達を見張り、仮免許、仮の許しを
与えて、仮釈放しているのではないのです。
長いので5に続く