エジプトの奴隷として違うIDで生きて来た、異教の神々を
拝む王の手から 救い出され 本当の主人の元に買い戻され、
購い出された後、”新しい人生”の旅路を主が用意して下さった
その 一番最初の段階で、イスラエルのアバ主は”あなた方は、
誰か”と言う本当のID 姿を、はっきりと教えて下さって
いる事はとても重要な事なのです。
荒野の中に 連れ出し ”エリム”と言う場所に導き出して
見せた”景色”=絵画的教育ツールは、まさに”あなた方は誰で
あるか?”と言う、本当のIDを知らせてくれている
ものなのです。
ナツメヤシ=義とされた人、神に向かって 天に向かって
まっすぐにそびえ立つ 伸びる 喜び溢れる
姿の神の似姿の人達。
荒野の中の12のオアシス。
渇いた世界へ、生ける水を探し求めても どこで どう
それを発見したら良いか分からない 世界中の人達の中=
荒野の中に置かれた 12=神の子らのオアシス。
生ける水=マイン ハイム=イエシュアを、世界に運ぶ人達。
世の光 地の塩 全部同じ事を語っているのです。
イスラエルの神の子供達!あなたは 自分が誰かと言う事を
知っていますか?あなたの本当の姿を知っていますか?と言う
神からの問いかけなのです。
この”本当の自分が誰であるか”と言う事は、奴隷の国に
生きて育ってしまったので、私達ひとりひとり 本当のIDを
失い分からなくなったままだからです。
もし、この世の肉の親から離されて、別の家庭の本当の親では
ない人の元で育ってしまって いきなり、本当の両親の元に
連れて行かれ、育った家庭とは違う家庭に入った
としたら、当然色々と混乱しますよね。
自分て誰だろう?と 思うはずです。
今までの家 家訓 育った環境 価値観 自分がどこに属する
人なのか、全然違う場所に置かれたら 混乱する。
馴染みがないし、長年培って来た自分の意識の方が馴染める。
しっくり来る。でもそれは 本当のあなたでは無かったと
言う事でもあるのです。それと同じですね。
だから、”本当のあなたは 奴隷=ずれ人 ズレの中に失われ
続けて行く人ではない、それは ずれの中で 学習して
”成って”しまったあなた。本当のあなたではない あなた。
実は神の一方的な 永遠の業 完了の業により、
義とされている。神の前には”義人”とされている事実がある。
義人のIDは、人の努力や 行動により 獲得出来るものでは
なく.人の行動や 努力に左右される事のない 揺るがないID
決定的な事実=義人が取戻されている。
ただただ 100%与えられた 贈り物 それを受け取って
それを 実際に生きるのかどうかだけの問題。
義人なのに、奴隷らしく生き続けて行ってしまうから
分からなくなるのです 本当のIDで生きる事が
分からないまま。
本当のIDと、実際の生き様がズレるのは、以前の意識
頭脳 脳回路のままで いるからです。
だから 頭脳の一新により 切り替えよ!死別の脳回路
離脱せよと書いてあるのです。
神の子であり、神の似姿そっくり”と
言う事を 徹底的に最初の最初から知る そこから始めないと
神の用意して下さった人生の旅路は その本当の自分=神の
似姿の自分のIDが分からなければ
本当の意味では歩み出せないと言う事なのです。
神に造られた”人類” 人 人間とは、本当は誰 どんな姿の
人なのか?をこの”大家族”、出エジプトした人々
家族の中の家族にはっきりと 示しています。
神に造られた人は、どの様に造られているのか
どの様なID 姿なのか?
自分の本当の姿=神の似姿を知るための全てが
それを知るに至るための全てが 聖書に書かれているのです。
神の様に考える=霊的思索をする=その霊的思索をする
ために必要な神の言葉=神自身=神の実態が、トラーの中に
書かれているのです。
ですから、トラーの一点一画でも捨て去る場合には
”自分が誰か”?と言う事が分からなくなるのは
当然なのだと分かって来ます。
トラーの中に、私達の本当の姿 イスラエルの神がどんな方で
あるかの中心 真髄 根幹が書かれているからです。
続く