ピリピ2に有る様に”互いに優れた者と認識するとは”比べ
合い自分が相手より劣る存在と、認識せよと言う意味では
ないのです。
また、1テモテ 1:15にもある様 パウロは今も
,あかたも”罪人の中の罪人”と言っているのだと、
誤解して読んでいる箇所ですが、この様な箇所は、
正しい読み方、理解をちゃんと突き止めると、
聖書がどこも 矛盾していない事 発見します。
二つ別々の相反する事を言っていると思われる箇所には
”落とし穴” “誤解” ”誤訳”が潜んでいる事
注意すべしです。
それぞれの内容は込み入っているので、
これは 別の記事に書きたいと思います。長くなるので。
さて、りんごの木がりんごの実をならせる。
オレンジがオレンジの実をならせる。
リンゴがオレンジの実がならないと言って それは
ラー=悪い=主の意図からはずれているの?
そうでは ないでしょう。
お互い 雪の結晶の様に皆全部違うのです。
それで トーヴ 主の意図通りのデザインなのです。
全員合わせて一体である事が分れば 理解出来るのです。
パズルのピースは、同じ物ではない、全部が繋がって
絵柄が浮き出るのと同じです。
誰かと自分が 同じでなくて それで トーヴ
主の意図通りなのです。比べる事自体、的外れだと
分ります。
ちょっと寄り道して 解説しますが、私達はどれだけ
この世のシステム=神の命を知らない人々の肉の目
別の目が開かれたままの頭脳によって、
作り出されて来た 定義されて来た、人間の手で造った
神の命の無い、教育システム 社会、会社システム、
価値観、様々な道徳観や,人間観 男女観やそう言う
主の意図とはズレている、”人間の基準 価値”を、
刷り込まれて来たか分りますでしょうか?
私達が語り合っている 人間とは とか 男女とは?と
言う観念さえも、実はただの”人間の定義“するものだと
気がつきますか?
本当のヒューマニテイ 人間と言うもの 聖書が語る
”本当の人間の姿” 本当の自分の姿を知らなくて、
どうして、神の世界の中で思索始める事が
出来るのでしょう?と疑問に思った方が良いです。
例えば、クラスに成績優秀な子がいると
教師は”あの子の様になるべきですね~”みたいな
褒め言葉を言うでしょう。そして人間として優秀
価値ある見たいな意識を生み出し、その子に比べて
自分て駄目、価値ない時には、カスみたいに思う。
それって、主の目から見たらトーヴ=主の意図通り
ですかね?
そう言う事を 考えて行くと、私達は無意識に人と
比べられる。その中で 価値レッテル張られて
自分も他者にそうしている事に気がつかない
ままいるのです。
私はリンゴなのに、オレンジの実がならないと
ずっと否定され続けて行くのです。
わたしゃ リンゴの木として造られて リンゴの実しか
ならないで 何がラー=主の意図から外れている?
と言う事なのに。
主の目から物事が見れないとは、そう言う教えや
概念を生み出し続けるのです。
主の目から見る事を知らない目で、世界を見続け
その別の目が開かれた人の、概念や価値観を
しっかり脳回路に インプットされ続け、
そう、エジプトの無意味な、虚しいレンガを積み上げる
意味無し作業をさせられ続けている事にも気がつかないまま。
だからこのシステムに疑問を抱いた人達が
ホームスクーリングなどの他の選択肢を選ぶの
でしょう。
でも、本当にそこで 教えなくてはならない事は
まず、何が出来るではなく、”自分が誰か”主の似姿に
造られたもの、完了の業で 修復された人と
されていること、婚姻契約の愛、永遠の愛で愛されている
事、主の目には、高価で尊い存在、主の似姿に造られた者
である事を知る=真理の知識に導かれるその知り方に
辿り着く様に教える事。
”生き生き生きる命”に造られている、
その実態に導いてあげる、溢れる喜びを体験して生きる、
自分の特性探し、自分の特性、好きな事を、
誰とも比べられず、自分の歩みのスピードで、安全に、
その楽しい発見、主の造られた素晴らしい世界を知る、
学習の旅をさせて上げる。
そして、主の意図通りの姿=トーヴ、修復された人本当の
人間の姿とはを教えて上げる事です。
それには、子供達、他者を指導する人達が、
まず主の与えて下さった、私達の実態=ネフィッシュ
ハヤ=”生き生き生きる命”を生きる 秘訣を知らなくては
どうして それを教えられるのでしょう?
私達は”ネフィッシュ ハヤ”=生き生き生きる命として
造られていると聖書に書かれている。その姿を生きる秘訣を
知っていますか?
秘訣=完了の業 シャバットから生きる事です。
主の命と引き換えに永遠から取り戻されている 本当の
修復された人で生きる事を知る事からスタートする。
罪人清めて 修理して なんとか頑張る苦行
苦痛 修行の旅路とは真逆です。
それは、”地は混沌と”と言う意味と、”真理に導く知識”
テトス1に繋がる解説なのですが、まだそこまで
辿り着かないまま謙遜と言うテーマの記事の
続きを書いている所です。
続く
Shabbat Shalom