油注ぎと、良く聞きますが、一体何の事なのか、
その内容を私自身は、分らないまま、ただその言葉尻を、
唱えていました。
レビ記の2章、2番目に出て来る、ミンハ=感謝の
コバーン=引き寄せられる=捧げものと訳されている
解説の続きです。
ミンハ=感謝のコバーンの材料は
穀物=最良の粉、油、塩、そして、乳香=レボナです。
材料の中の、油に関して書いてみます。
イスラエルでは、油とは、オリーブオイルです。
その油は、文化の中で、そして、聖書の中で、一体
どういう意味、何の意味、役割があるのでしょうか?
オリーブオイル 油は、文字通り、光、家の中の
灯りの役目です。
そして、体を拭いたりする清め、皮膚に塗ったりする癒し
ヒーリング、そして、そのまま食べる、栄養です。
光、清め、癒し、栄養。
レビ記 2章
4あなたが、もし天火で焼いたものを素祭として
ささげるならば、それは麦粉に油を混ぜて作った種入れぬ菓子、
または油を塗った種入れぬ煎餅でなければならない。
この4節に書いてある、”油を塗った”とある言葉は、
油注ぎ=メシュアッフ=メシアと同じ言葉です。
油注がれた者です。
王、祭司、預言者が、油注ぎを受ける儀式がありますが、
これは、何を意味しているのでしょうか?
油注ぎの儀式では、頭から全部ボトル一本の油を
ざ~~~~と注ぐのです。
そうするとどうなりますか?
髪の毛に、そして、髭に、衣服にドバ~~~~
ベタ~~~~ッと、油が付く訳です。
全身べとべとです。
そう 自分にぴったり密着!!!
どう言う意味があるのでしょうか?
これは、同化です。油と自分の実態が、一体になった事です。
自分の実態、これから油と同じ責任を、
この個人へ、集団へ、この王国に属する人々へ負いましたと、
言う意味の、儀式なのです。
王国=イスラエル 神の家です。
油注がれて、この任務、サービスに入る。
王 祭司 預言者が 全身全霊が、この人は、
今 神の光、癒し、栄養、清めをもたらす、
任務の入ったと言う宣言なのです。
新しい人、修復された人、
聖められた、光 これを教える、供給する、人として
油注がれたのですと言う意味なのです。
そして、このミンハのコバーンの儀式で、
私達既に、パン種の無いマッツアとされている人が、
油=メシアが、内に住む人達になった事を、
教えているのです。
十字架以降に、聖霊=神が、初めて人のうちに住まわれるように
なったと言う、西洋宗教の教えと聖書で、書いてある事は
異なるのです。
初めの初めから、同じ福音、神の家の人達の現実が
語られているのです。
神の癒しの源、神のトラーの源を,人々に伝える
供給する人任務を、任されたと言う意味です。
それが、王、祭司、預言者達であるのです。
別の教えをする場合は、別の王国に属してしまいます。
イエスさまが”あなたがたは 世の光です。”と言われた時
天の王国の祭司達、あなたがたはマッツア
種無しパン=罪が削ぎ落とされた、新しい人
罪の削ぎ落とされた人、油注ぎ=メシアが内に住む者であると、
言われたのです。
神の命、光、癒し、聖め、必要、栄養の源を内に
持つものとなったと言う意味なのです。
神が人類を、本来はこの様に造られた!
その姿=TOV神の意図した、姿に変えられた人、
その姿で生きるように変貌された人達へ
語られているのです。
中途半端に、罪だけ許され、実態は、まだ汚い罪人なんて
教えは、聖書にはないのです。
それは、全く、イエスさまの言われた事、聖書とは
逆の事をしている事だと、原典聖書に戻り、確認すると
事実は、明白、明らかになるのです。
その新しい人! 油注がれた人達は、
暗闇で、光!!!!を、耀き出せるのです。
この世の、失われた世界の人々へ向かって、偶像礼拝的に
生きている人達へ、自分の本当の姿が分らず、様々な束縛に
捉えられている、神に造られた本来の姿からズレて、
お互いを傷つけ合い、おぞましい偶像礼拝の泥に染まっている
偶像礼拝とは、自分の努力で神に許しを請い、アピールし、
本来の契約の愛の関係を知らないまま、偶像に関わるように
生きている全ての人達へ、その人達に向かって、人間とは、
この様に、造られている、生きる事が出来る事を、
新しい人として、日々喜び、光に溢れて生きる
その姿を通して、彼らに伝えなさい!
”あなたは 世の光!”であると、
イエスさまは、私達に言われているのです。
内に油=メシアを持つ人、生けるトラー=油を持つ人は、
神の命で、光を、輝き出す事が出来る様に
されているのです。
地上と、そして、天の祭司達のIDは、許され続ける罪人
ではないのです。
完全に、新しく修復された人なのです。
それが福音の中心の中心なのです。
それを、神学は、完全に曲げています。
世の光と、イエスさまが言われる、真理は何でしょう?
生きる上で何なのでしょう?
どうやって この事実を捉えて、神の中に
立ち昇るのでしょう?
神の光の中で、新しい人として生きる以外ないはずです。
神は、”油注がれた者”
メシアが内側に居る人達よ!!!
メシアが、光が、内に宿る修復された人!
私達が、聖められ、光で この世の闇から出て、
新しい人として、マッツア=罪の削ぎ落とされた人として
神の光で、輝く人達!日々を生きる人達。
お互いを、新しい人として、関わり合う事を始めた人達。
その関係、命溢れる姿で、生きる人達。
神の家の祭壇で、マッツアに油注ぎをする事は、
私達の姿を表しているのです。
最上の麦、そして、完了の業=神の行程で
焼かれたマッツア、それに、油注ぎ=メシアが
内側に住まわれている!
その事を、教えているのです。
すごい、奥義です。
続く