聖書は一つ!
この神の真理から、外れないで読む。
神の世界、エデンの園=喜び=神の家=神の中
すごい世界の扉をどんどん開ける事になる鍵だと、
分ります。
そして、それが自分のまことの命を、神の中ーエデン=喜びで、
今生きれる事、実体験に繋がるのです。
聖書のメッセージは、シンプル。そして一貫しています。
ぶれない、変わらない。
この世界は、二つの王国の戦いです。
闇の王国と神の王国。
全回書いた、レビ記23:17の、パン種。
ハマッツ=神の義で、神の国、新しい人を、
どんどん膨張させる、膨らませ、拡大させるパン種。
そして、エジプトに居た時、過ぎ越しの前に、
古い人の中にあった、パン種は、私達を、破壊する、
壊す、苦しめ、歪め、縛り付けるものでした。
パン種=ハマッツ=罪
でも、もうそれは、あなたの中には、無い!!!と
神が言われているのです。トラーの中で、聖書全体で!!
水も同じです。
二つの別の意味で、使われています。
エジプト=狭い、苦しい、束縛、悲しみと言う意味の国の名
そのエジプトのナイル=奴隷の国に流れる、
奴隷を、少しばかり、偽りの代替え品、この世の栄華で、
潤すちょろちょろの、まやかしの乏しい川と、
神の国=エデンから流れる、神の生ける川の水。
新しい人の中に、流れる、あふれる神の命
生ける水です。
そして、闇の王国から、引き出され、神の王国に入れられた人
ハマッツ=罪は、全部削ぎ落とされた事を、7日間思い出す。
パン種が削ぎ落とされ、修復された新しい人は、
今度は、神の義のパン種で、膨らむのです。
7は完了!!!を意味するのです。
新しい人になっている事を、思い出す。
主のメッセージは一貫しています。
聖書の中の意味が、分ると見えて来る、繋がって来る。
そのテーマの中心は、神の家=神の国=エデン
そしてそこに住まう新しい人達!! 一貫しています。
今度は、新しくされた人は、神の義で膨らむ
成長する、御霊の実がたわわになる!!!
これは、キリスト教の教える神学=許され続ける
この世にあれば、天に行く迄、まだ不完全な人を、
唱え続ければ、見えなくなるのは、当然です。
麗しく聞こえる、肉の目から自分の姿を今みれば、
そのように見れるからそれとしか受けとれず、
微妙にずれ、次第に、大幅にズレて行くからです。
何故なら、福音の中心!最も最大に強調されているのが
”シャバット”=完了の業から生きるだからです。
つまり、修復された人が、神の完了の業から
生きるだからです。
それを、”罪人”で生きると、宣言しながら生きる事は、
別の脳回路=悪い地=エデンの圏外の園で、必死に
肥料=人間の教えを、蒔いて、その中で耕す事だと
たとえ話で、イエスさまが話されている通りです。
鏡の前=自分の本当の姿を映す鏡=トラーの前から
離れて去れば、直ぐに自分の本当の姿=新しい人完了の業を忘れ、
分らなくなる。やっぱり罪人だっのだと、
間違った確信を固く増す!
砂の上に建てた家は、崩れるのです。
この世の心遣い=人間の教えに、心奪われ
聞いても=新しい人である事を、直ぐ忘れる。
忘れる以前に、新しく人になっていると、書いてあるのに、
気がつかせない事が、神学の罠です。
よい地=エデン=喜び=キリストの思索で、新しい人を
耕す人は、水路の側に植わった木のように、
時が来て、御霊の実が、たわたに付く、枯れない!
岩の上に建てた家は、崩れない!
聖書は一貫して、今修復された完了の業を
受けとった、新しい人の命、生きる事が、
書かれているのです。
全部の箇所が、繋がっているのです。
初めから終わりまで、くまなく書かれています。
聖書が一つ、神の言葉に変化ないと分かる、
人間の教え=許され続ける罪人を捨てる、完全排除するだけで
飛躍的に聖書が、つながって見えてくるのです。
聖書は、同じテーマを中心に、書かれているからです。
そのテーマは、完了のわざで、永遠から新しく
修復されている、この現実を、今!信じる者達は、
その姿になっている事!
これから、外れないで、考え続ければ、どこまでも
見えてきます。
聖書は、私たち神に造られた子達が、理解出来るように
書かれているのです。
そして、新しくされた人への、天から降るマナ、命の木
トラー=神御自身=食べ物なのです。
取りて食べよ!食べて、神の命を、生き生きと生きよ!
でも、新しくされた人として、神の目から読まないと
分りにくい!
律法主義に陥るし、努力の世界と勘違いするからです。
罪人としてしか、体験領域がない場合は、そう思うでしょう。
罪人である、不完全な人が、聖霊に助けられながら生きる
その世界の事を聖書が言っていると、思って生きている場合は、
フォーカスがぶれる。
新しい人で生きる領域を、知っていますとは言えない場合、
分らない世界、未体験の領域だから、肉の行いや、
これこれを、やっていればOKと言う、律法主義に陥る事の様に
聞こえるのだと思います。
しかし、全然違う領域=新しい人=エデンに修復された事が
分れば、分る!出来る!生きれるように変えられている
そのことが分る世界、領域なのです。
何故なら、それを、生きれる人に変えられている事に
気がつけば!ああ~~ 飛べる~ああ歩ける!羽ばたける!
新しい人で!と、分るのです。
宇宙に言ったら、無有力状態、ふわふわ浮かべる~
抵抗なしに!
自分の中身が、新しい人だと、分れば、それで生きる事が
出来るのが、正常な状態、普通だと分るからです。
古い十字架で死んだ、罪人のままで、生きる方が
神に造られた神の姿に、そっくり似ている人間としては、
異常、不自然な状態のまま居る事なのです。
そして、私たちは、元々、天の領域の神の姿に似せられた
そのままで生きれるように、造られているのです。
神の言葉が理解出来るように、造られているのです。
神の意図通りに読めば、混ぜ物された、
教えに染まらなければ、見えるのです!ちゃ~んと!
神が見ている、言われている、その通りの事を!
神の目から、神の御座から、天の領域、エデンの中から!
1世紀のシャブオートの出来事、
あの時、あの場所に居た人達は、デイアスポラ=離散して
海外に住んで帰って来た、ユダヤ人達です。
そして、さあ今からです!神のゴーサイン!
エルサレムから、今度は世界へ!
シナイ山でイスラエルにトラー=婚姻契約が与えられた時と
同じ、天からのサイン 火が下ったのです。
今度は、異邦人へも、このトラー=イエス御自身が
運ばれる除幕式です。
だから、そこで集っていた人達は、それぞれ外国の言葉
意味のある人間の言語で、話し始めたのです。
こんな感じです。
英語を知らない、日本人が英語で、韓国人がフランス語で
ドイツ人がタガログ語で、語り始めた。
言語、人類の差を超えて、トラー、神の契約が全人類へ
運ばれるサインです。
これを皮切りに、12弟子達は、世界宣教へ行くのです。
原語では、改宗者を造りなさいではなく、
弟子を造りなさいと書かれています。
弟子とは、トラー=イエス自身の命=新しい人、エデンの中に
修復された人を、知っている、実態=新しい人を持って
生きる、その人達=弟子を造りなさい、教えなさいと
言う意味です。
もちろん、許され続ける罪人となどと言う、西洋宗教の
教えなんか、なかった、伝えられても居なかったのです。
そんな、反聖書的、西洋宗教の教えなど、弟子達も、
イエスさまも、そして、パウロも、誰一人として教えてなど
いないのです。
しかも、トラーを改ざん、排除、もう終わりなどと言う教えを
すれば、その時点で!偽教師、偽預言者、偽使徒のレッテルを
張られ、除外されたでしょう。
当時、トラーを知らない人などは、聖書教師とは、
呼ばれなかったのです。
大体、そんなズレた意識の人達を、イエスさまが初めから
使徒として、選ぶ訳がないのです。
彼ら全て!何を教えていたのですか?
キリスト=メシア==生けるトラーの命!福音です。
太古から、語り継がれていた同じ、神の福音です。
天の祭司として、天の家=神の家=神の中=エデンの実態を
分かち合いに行きなさい!
そのミッションに伴い、与えられた特別な力。
別の助け手とは、同じ実質の神の助けです。
肉体で地上に、今目の前に居る、イエスさまが
天に上げられても、同じ実質の別の助け手が
来る!!!と言われているのです。
事実、それが、与えられたではありませんか!
使徒の記録や、その他を読めば、分ります。
イエスさまが居た時と、同じあり様で、天の現実が
丸ごと降りて来る様な、奇跡、癒し、不思議、変貌
変態、信じる者の中に、もたらされる変化!
新しい人の現実到来!様々な驚くべき天の現実が、
弟子達を通して、肉体のイエスさま、地上には
居ないけれど、目で見える肉体のイエスさまは、目の前に
見えなくても、居た時と全く、同等の別の助け手
=同じ実質の神の霊、天の現実丸ごと、神ご自身丸ごと!
その力を、イエスさまと肉体で、一緒に居た時と、
同じ、同等の助けを、頂いたのです。
またまた続く