イスラエルの神の家に 仕える人達 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

祭司には、仕える場所があります。
神殿と、訳されていますが、原語では、
“ベイト ミダーシュ”
”聖められた家”
です。
神殿や宮と言う訳では、他の異教の神々の住まう場所も、
神殿と呼ばれますから、ぴったりの訳ではないのです。

地上の神殿で、仕える祭司は、永遠から永遠に
変わらない神の福音を、神の定めた儀式を施しながら、
神の家の出来事、一つ一つを通して、福音=完了の業
=主の血潮の、購いの意味、福音の真髄、
イエス=救い主ご自身の姿を、実体験を含めながら、
教育、教えていたのです。

詩編などを読むと、分りますが、詩編の中の祈りや
賛美の多くは、この神殿=神の家での,コバーンの
儀式を通して、生まれたものなのです。
心からの歌、祈りなのです。
新しくされた人の、賛美、歓喜でも、あるのです。

神の家での礼拝は、コバーン=捧げもの 生け贄と
訳されている、実は”引き寄せられる”と言う儀式。
捧げられる動物も、名詞で”引き寄せるもの” そして、
その儀式の中での、行為も”引き寄せる”と言う動詞で、
書かれているのです。
神の教え、ヘブライ人の中には、神殿の中の礼拝は、
コバーンを通して、されるもの、コバーンと賛美 祈り 
全て、一体切り離せないものなのです。

それは、神の姿に似せて造られた、人間本来の姿、
他者との本来の姿、神との姿に、共に、
引き寄せられている現実を、教えるための、ものなのです。
イエスさまが来られるまでの、仮の罪の許し、免罪符
仮免許ではないのです。

自分の本当に姿への、修復と、関係の修復を
教えていたのです。
それが、神の家で仕える、祭司の役割であったからです。

そして、主に受け入れられて、もう既に
染みも咎も傷もない、新しい人として、天の現実の中に
居る事を、儀式を通して、教えていたのです。
将来受けとるべき実態としてではなく、その時々、
どの時代の人も、その時受けとっていた、救いの
現実です。
神は、どの時代にも、どの人にも同等に、内側に
住まわれていたのです。
神の言葉、福音は、どの場所でも、同じ、変わらない
そして、どの人も、どの場所でも受けとれる事が
出来る事を、教えていたのです。

イエスさまが、トラー、預言書、諸書にわたしの事が
書いてあると、言われたそのままです。
太古から語り継がれた、受けとって来た、同じ福音
完了の業なのです。

そして、それは、十字架の前後で、古代と
現代で、何も変化はないのです。
なぜなら、神は永遠から、永遠に変わらない、
神の福音も、購い救いも 言葉も、どこを取っても
永遠に変わらず、最初の最初から、用意されている
どの時点でも、受けとる事が、出来る事が、
書かれているからです。
救い購い、内側に神ご自身=聖霊=イエスが
住まわれている事実が、至る所に書かれています。

福音、完了の業、血潮の業 許し、購い 新しい人の現実は、
最初の最初からあったのです。
完了の業 7日目に全ての業を終えて、止まったとは、
そのことを、表しているのです。
後先に付け足す業がゼロ!で、神が全ての業を、
止められたのです。
私達は、永遠という領域から、ヘブライ思想的に物事を
見る必要があるのです。
西洋年表思想、分断思想は、反聖書的思想なので、
その意識、思索で、ヘブライ思索、永遠から同じ神の
言葉を読んでも、少しズレてしまう訳です。

イスラエルの神の許し、救い、助けは、どの場所でも
どの時でも、同質、同等の変化ないものなのです。


さて、万人祭司とは、どの様な事を言っているのでしょうか?
祭司と言う任務を考えると、3つの側面があります。

1 まずは、祭司とは何をする人なのか、どう言うIDを持つ
人達なのか。
2 祭司は、仕える場所がある。それは何処なのか?
3 そして、祭司には、オーダー 職務の役割がある事。
そして、何をする人達なのか。

まず、地上の神殿ので祭司と、私達が言う万人祭司の違いを
知る必要があります。

今は、神殿がありませんが、エルサレムの神殿で仕える
祭司の条件は、何なのでしょう?
家系、生まれです。
神に依る、決められた選び、生まれ、家系と言う
規定があるのです。

ユダヤ人であっても,誰でも、祭司にはなれないのです。
レビの家系に生まれた人達だけが、祭司になると
神が定められたのです。

そして、大祭司は、アロンの家系の人のみ。
それ以外の人達は、祭司に、なれなかった訳です。
だから、ユダヤ人含め、レビ族そして、アロンの家系の
人以外、神殿で仕える職務に着く事は出来ないのです。

現在の時点で、今は神殿がないので、
祭司と同等の職務に就いている人は、一人もいないのです。
また祭司の、仕事の内容は、激務です。

夜勤あり、肉体労働あり、ですから 退職は50歳。
祭司職と、現在の教師、牧師職とは、同じではありませんし
労働内容も、異なりますから、これを、混同して考え
牧師は、今50歳で退職ではないから、トラーの
教えが変わったのだと、思われるかもしれませんが、
ここは、本当に注意深く、聖書を知らなければ、
ならない事が、浮き彫りになる点だと、思います。

そして、祭司達が仕える神の家は、エルサレムで、
神が示した通りに、規定の場所=エルサレムに建てられた
唯一の神殿でなければ、ならなかったのです。
これは、よく読んで見ると、深い真理、そして、すべての
真理に繋がっています。
”わたし=イエスを通してでなければ、誰も父の元に
来る事が出来ない。”
その事に繋がる、真理でもあります。

そして、その神殿の元の姿は、モーセが天の領域で
肉眼で見た、天に実在する、“神の家”そのままそっくりを、
神の指事した素材、寸法で、この地上に再現、
造らなければならなかったのです。
私達が、この肉眼で、天にある神の家そっくりそのままを
見るために。

それは、少しでも、違えば、その幕屋=神の家が、
神に属する姿では、なくなくなるからです。
これ以外の所で、神殿もどきを造り、コバーンを捧げたり
同等の儀式を行う事を、神が禁止したのにも、関わらず
色々な所に、神殿もどきを造り、しては行けない、
自分たちの勝手な手の業を、やっていた訳です。

Shabbat Shalom
今日が、神の定めた永遠に変わらない、
シャバット。
完了の業を、思い出し、祝う、そして互いに
ズレや、歪み、仲違いを、修復し合う日です。
そして、共に神の中に戻って居る事を、
思い出す日です。


続く