ヤコブの梯子 本当の自分探しの旅 2 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書にある さまざまな 言葉は、
特別な意味で書かれている事を
学ぶと ぐっと 書かれている事の 真意、
意味がはっきりし、
ああ そうだったのかと
深い理解出来て来ることを、知ります。

“衣”もその一つです。
衣 というタイトルだけでも
何時間もの Teachingにも なるほどです。

ヤコブ生涯の箇所 何度も読まれている
有名な箇所ですね。

ヤコブは 誕生の時、双子の片割れである、
兄のかかとをつかんでいた。
これが 彼の名前。

エケブ かかとなんて
変な名前ですよね。

日本人に “かかとをつかむもの”なんて 
意味の名前を子供に付けないですよね。

”かかとつかみ ちゃん”なんて。

ヘブライ人て とても 変ね!
しかし、名は体を表すです。
主は 意味があって、聖書の中に記載している
人物の名前を、そこに 
置かれたのですね。
私達に、主の意図した 教訓を教える為に。

母親である リベカはあらかじめ、ヤコブが誰であるか、
主から直接伝えられていたのです。

兄のエサウもエサウで、お腹がすいていて、目の前の空腹、
肉の欲のために
長子の権利を平気で 軽々しく渡すような、
その時点では そういう人であったことが
分かります。

長子の権利も 学んでみると 分ります。
長子は 父が不在の場合、一家を代表 父の代表
私を見るものを 父を見ると イエスさまが 
言われた意味と同じです。
父と同じ実質を 提供する 存在ということです。

 また 家族、全部の必要の責任を
持たされる存在なのです。
だから 相続も倍です。

母に指示され、促された息子 ヤコブは
エサウの狩りに出ている隙に、父であるイサクをだまし、
長子の祝福も奪う。

いや ヤコブの長子の権利 祝福は 初めから本当は 
主が決めて、与えられていたものだったのです。

でも この祝福の奪い方の故、ヤコブはその後、
 兄エサウの衣 すなわち、自分ではないものを、
別の人の人生を 
身にまとい、自分ではない 自分らしくない、
窮屈な人生をその後20年、
生まれ故郷から、追い出されて生きる事になるわけです。

これ 私達の姿と重ねることが、出来ると思います。

ヤコブは、ずっと 神、主を信じて、知っていたのです。
現代の私達と同じように、新生体験を、していたのです。

しかしヤコブは、自分が誰であるか、良く分からないまま
20年もの間、故郷を離れて生きて行ったのです。
一口に20年と言いますけれど、長いですよね。

20年は、色々な事がある。赤ちゃんが生まれたら 
20歳の成人にもなってしまう 長い年月なのです。


今度 会ったら、最後、兄エサウに殺される!と言う
恐怖が いつも心に巣食ったまま。
私達も心の中に、こんなことが起こったらどうしよう”
という 起こるか起こらないか分からない
架空の恐怖を抱いたりするのでは、ないのでしょうか?