新約聖書は何と呼ばれるべき? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

では 新約聖書はどうでしょうか?

これは 驚きかもしれませんが、マタイから黙示録まで、

または 年代の新しい契約これは、

Scriptures 、み言葉を指して、言っているのではなく、
契約に対して言っているのです。


他の言葉で言うと、人々が新約と言っているのは、

新約聖書自体がそう言う呼び名で呼んでいるのでは
ありません。


もっと正確な呼び名では、新たに更新された元々存在する契約、
であり、これは 聖書のScripturesみ言葉を、指して、
新しい聖書、み言葉が出て来たと言っているのでは
ありません。


しかも、新しい契約というのは、新しいものでは
ないのです。


新たに、契約更新、今も、変わらず有効な契約と言う、意味です。

(新しい契約と誤解されている、エレミヤ31や、
ルカ22:19.20について、今度別項目で、詳しい 
解説をしてみます)


ここで、問題なるのは、モーセの書であったと 同じように、

新約聖書というフレーズ 呼び名です。 

新約というのは 良い呼び名ではないのです。

もし、良い呼び名が何かというと年代の新しい契約の書

または更新継続された契約の書と呼ぶべき

どれが一番良いか分かりませんが。
しかし、私たちのモデルに、ここの聖書がどうあてはまるか
みてみましょう。

トラーは私たちの土台です。預言書はその上に建てられていて、
トラーに戻りなさいと警告している。
Writingsはその上に建てられており、

トラーに生きるように、励ましを与えている。

次の種類はWritings、福音書です。

それらは、トラーを何と教えているのでしょうか?

多くの事を教えています。

福音書は メシアについて 語っています。

イエスは 生きたトラーであると

描写されています。トラーは、もっともすぐれた教師なのです



イエス様は、トラーそのものです。


イエスさまは、モーセが書いたものの、人間として 
現れたものなのです。


モーセは インストラクションを与えました。 

イエスは、そのインストラクションを生きて、
トラーそのものでした。

イエスはトラーの最高の教師だったのです。

トラーに、書かれている事が分らないと、

イエスの教え、たとえ話を教える時、

イエスの口から語られた一言一言を

私たちに教え示すことが出来るのわけないのです。




モーセの教えを理解出来なければ

絶対にイエスが教えていたことを理解できないのです。



もう一度言わせてください。
モーセの教えを、本当に理解出来ないのなら、

その人は、イエスが教えられたことを、理解も、解釈も
するのは不可能なのです。




ちょっと、大胆な発言で固い表明ですが、 
それは 真実なのです。




ある時、ラビである 友人がいました。
彼は今でも私たちの友人ですが。

ずっと前に一緒に学んだ事がある人です。
彼がイエスのたとえ話を

自分のcommunity、近所の仲間の集まりで、
教える事にしました。 

ユダヤ人が、イエスのたとえ話に興味を持つ事自体 
驚くべきことなのです。

それで彼は、イエスのたとえ話を、教えました。

それで私たちは、新約聖書に付いての話合いをしました。 

彼が新約聖書を読みその後に,二つのことを言ったのですが

それが 驚くべき事でした。

この男性は、全くのユダヤ人で、キリスト教の教会や、

クリスチャンのセミナリーや、クリスチャンの聖書学校に
行った事がない方です。

彼は、ラビです。

彼が新約聖書を読んだ時、それまでまったくキリスト教の

世界では、関わりのない人だったのです。

これが、彼の回答でした。 彼はこう言ったのです。

“福音書はトラーに付いての,
優れたコメンタリーだ!”


これがラビの、偏見や先入観のない応答だったのです。



ラビはトラーをほとんど暗記していて、その彼は 
トラーを考えているわけです。

トラーが、頭の中にあり、そこから考えている訳です。

彼が福音書を読んで、トラーが至る所に書かれていることを

見たのです。 

そして、彼がイエスのことを,話している時に彼の顔が、
輝いて、イエス様のことで、わくわくして、
美しい表情になっているのを、想像出来ますでしょうか?



“イエスはもっとも優れたトラーの教師である”と言ったのです。


福音書はメシアを表しています。

生きるトラーとしてもっとも優れたトラーの教師として。

それから福音書はもう一つのことを、伝えています。

イエスの犠牲の死と復活により信仰によりずれ人、

死んでいた人がが変えられるのです。

私たちは、かつて罪人であったが 劇的にそして永遠に
変えられたのです。

何が、内側に起ったのでしょうか?

イエスを信じると、信じる者の中に沢山のことが起ります。

一番すごいことは、生きるトラーであるイエス自身が
私たちの内に住まわれる事です。 

イエスを信じる事により私たちは 生きるトラーを内側に、
今持っているのです。

そして 今イエスさまが私たちを変えて、恵みにより 
また 聖霊によりモーセの教えに生きる能力を
与えてくださったのです。

イエスなしには、ある程度までしか モーセを通して与えられた

神の教えに生きることが出来ないし、それは律法主義に陥るだけです。

信じる者にも危険が存在するが、イエスが私たちのうちに 
生きておられることで

常に 御霊により この書に関して、私たちの目が
開かれ続ける。

そして この書の教え神の言葉に、生きる事が出来るのです。

なぜなら 生けるトラーが、私たちのうちに
住まわれているからです。

イエスさまの命が、私たちの中で 生きたいとされている。

そして私たちを通して

他の人たちへ 主の命が、トラーが 流れてて行くように
願っている。

それにより 私たちが 自分自身を イエス様により頼み、
信頼するなら 

私たちは トラーを話し、トラーに目が開かれ続け、
トラーに生き、

トラー(主の教え)に歩む事ができるのです。

続く