前回の続きです。
建物=ビルデイングに戻りましょう。
トラー(タナック 旧約聖書と人造用語で呼ばれている)では、
“主が話された”
というフレーズが出エジプトと申命記の間に
106回以上出てきます。
聖書の中で、 他の場所にこれほど
濃縮された フレーズの使われた方は
出て来ません。
ですから これを 土台的なものと 呼ぶのです。
神である、主の口から、直接語られた言葉です。
聖書という 建物は トラーという土台の上に 建てられているのです。
建物の第二の部分では 預言者の書と呼ばれています。
預言者の書がどのようにトラーと関わりがあるのでしょうか?
預言書は このように関わっています。
預言書は 歴史、どれでも良い歴史ではなくて、
例えばどこかの国の王様がいて 死んで、
あの時のどうしたと、言うことや、この王が死に、
戦争が起きて、誰が制服したとか、
そういう歴史史実を、書き連ねているのではない。
事実時々、預言書を読み進むのが難しいですね。
時代別に、つながった、タイムラインがないのですから。
神にとって 年表は大事ではないのです。
クリスチャンの聖書では、預言者は、イザヤとかエレミヤ、
ゼカリヤと言う人たちであると、思っているでしょう。
しかし、ヘブル語の聖書では、預言書は、
他の書物 他の人たちが預言書に含まれています。
ヨシュア、 士師、 列王記など。
これらを 歴史の書 預言書と呼びます。
歴史の書、預言書と呼びますが、年代的な歴史ではなくて
ただ 歴史なのです。
歴史の中で、起った神の目から、見て重要な事柄を、記してある。
神の目からみた 歴史的史実です。
もし、自分が聖書の記者であるのなら、
重要ではない、ある事柄は、書き入れない、そして、また別に、
聖書に書かれていない
他の出来事を、書き加えると思います。
なぜなら、私は歴史を、西洋思想的に、年代的ラインに沿って、
起ったことを見るように、訓練されてきたからです。
しかし、神の目から見た、歴史は違います。
現代ヘブル語には、歴史 ヒストリアという言葉がありますが、
聖書ヘブライ語には、ありません。
記憶
という言葉で、起きた出来事を、表しています。
聖書の預言書は、歴史も含みます。神から見て重要なこと
私たちに重要な事を、情報を、提供するでしょう。
歴史の中で起った、この出来事に対する
コメンタリーを提供します。
それを、預言的歴史と呼ぶ事が出来ます。
それが 預言書が含む一つの種類のWritings諸書です。
諸書を、預言書に含まれるなど、教えられた事は、
なかったですね。
この歴史で 含まれているのは、
神の人々が 神のトラーに忠実であったか
トラーに忠実でなかったかと言う
ことを示しているのです。
しかし、預言書は 他の書物も含みます。
私たちは、他の種類の預言者に親しんでいます。
イスラエルを、戒める、教え諭す預言者です。
また、これから起ろうとしている、事柄に対してです。
それなので 預言者は 預言的書物も含まれます。
聖書の預言は 神が、人々がした事をどう思っているか、
また、どう言っているか、神が 人間歴史で、預言的歴史
神の残りの民に対しての、励ましを含でいるのです。
<font color="#FF0000">そして 他の人々に対する警告。
他の言葉で言うと、聖書の預言書の部分は、神の人々が
トラーに忠実であったか
そうでなかったかを 伝えているのです。
しかし、神のトラーに忠実であった残りの民への
励まし、しかし
そうでないものには、警告を与えているのです。
預言書 そのメッセージは
神の中へ!取戻されている本来の姿へ!
トラー=神の婚姻契約の中に戻りなさい!
と言うことなのです。