律法は 誤訳 モーセの五書は聖書ではなんというタイトル? 3 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書は、それゆえに、モーセの五書の上に 
全ての建物が建てられているのです。
この土台とは、トラー=モーセの五書です。

残りの聖書の部分は このモーセの5書に完全に
依存しているのです。

例を挙げれば、復活後のイエスさまの命の出来事ですが、

ルカ24:27 

それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、
聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに
解き明かされた。


44-45で イエスさまは、
ご自分の弟子に話しかけています。

さて、そこでイエスは言われた。
「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、
あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて
モーセのトラーと預言者と詩篇とに書いてあることは、
必ず全部成就するということでした。」
そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、


最初は彼らはイエスさまであることに、気がつきませんでしたが、
しばらくすると、イエスさまが ご自身を彼らに明らかに
されました。
そうした時に、この啓示が
彼らの思索の中に,戒められて表されたのです。

イエスは、ご自分の身分を彼らに明かされて、 
そして彼らに、気がつかなかった事を、戒めたのです。
 
どのような言葉で 教え諭したのでしょうか?

イエスの時代の人々が持っていた聖書。

ほとんどの人たちが 旧約聖書と呼ぶものです。
そして このパッセージで、 イエスさまは 
ご自分の弟子に語っています。

聖書は イエス様御自身のことを 語っています。
典型的な 伝統的な方法で 引用 適用しています。
ユダヤ人の伝統的な伝達方法 旧約聖書を通してです。

その 内容は 3つの パッセージから成り立っています。
最初に、イエスさまは、3つの内の二つを言われています。

最初は モーセの書 預言者の書から始まって、イエスは 
ご自分に関して気にかけられています。

それで 2つのパートがまだありますね。

モーセの書と預言者の書
そして後でラビ的パートの聖句です。

後に、44、45節で伝統的な3つの部分が 
取り出されています。

モーセの書、これが 一つ。 預言者の書、これが2つ目。

そして、イエスは詩編を言われいます。これが3つ目です。
他のユダヤ人の文学で これをWriting諸書と呼びます。
詩編は 聖書の中で 多くを占めるWritingにあたります。
詩編を取り出す事で、、イエスは 残りの書をWriting
だと意味付けています。

”トラー、預言書、諸書”

イエスは 彼の弟子に諸書、 預言書、トラーが

私に関して話していると 語っているのです。

トラー、預言書、Writingsを取り除いたら、人々は私を知る事ができないだろうとイエスさまが言われているのです。

私たちがもし、トラーをまなぶのなら、イエスを知る事ができるだろうと。

なぜ彼らは トラー 預言書、Wrtingsを学んでいたのです。


現代ユダヤ教では とても便利な言葉を 生み出しました。
トラー、預言書、諸書というのは、言いづらいので、 
私たちは旧約聖書と言っています。簡単ですから。

しかし、 今日からは旧約という言葉を 
私たちの思索の中から

追い出す! 
そんな言葉は、聖書の中には存在しないからです。


現代ユダヤ教に全部、同意する訳ではありませんが、
しかし このラビが作り出した言葉、タナック=
”Tanack”と言う言葉は適切な言葉です。

この言葉はいくつかの 意味に基づいています。

タナックのTというサウンドは Torah に基づいています。
Na はNabim, ナビーム 預言書です。
最後の 言葉 Ketvim ケトウビーム はWritings(諸書)
です。

イエスは、Tanahkという言葉を使われませんでした。

しかしTanahkということの意味では、使われていました。

聖書はトラー、預言書、諸書なのです。

さあ今私たちはモーセの律法などというものが 
存在しないことを、はっきりと聖書に基づき知ったのです。
そして、旧約聖書というものも
存在しないのです。