意識というものは、繰り返し聞かされている言葉によって、
概念が造られて行く。
私の友人が言っていた、多分発展途上国その国の人に、
原典聖書を、そのまま教えたら、始めから終わりまで
はっきりと見えるようになった。
つまり、人造神学や、人の混ぜ物をした教えではなく、
始めから原典聖書だけを、主の意図通りを教えられたら
全然違う意識が、生まれるということ。
未開の地じゃなくても、ヘブライ語の聖書で、
削り取られていない、主の健全な教えの
声の元で育った人の人としての姿、生活、主との関係の深さ、
知っている事の深さを話を聞いてると
”違いが分る~ ゴールドブレンド”
(ブレンドはまずい 混ぜ物だもの)
大昔そんな コマーシャルがあった。
かみさまの言葉、メッセージは原始も進化も変化も何もない。
始めから終わりまで、ずっと同じだ。
しかも、聖書の一番~最初、最初の3章に
全部凝縮して書いてある。
私達が造られた意味や救いや、かみさまご自身のこと。
私たちの生きる事が何かが書かれている。
仕事じゃない。伝道奉仕、宗教活動でもない。
生きる=私達の生きるそのもの=イコール礼拝と
訳されているアボダーと言う言葉で書かれている。
主の前に、主の造られた姿のままで=主の似姿で生きる事が、
全て。
後は、聖書全体でそのことを説明している、コメンタリーだ。
全然複雑じゃない。 私達が、どういう風にデザインされた
存在か、どういう風に生きるようにされているか。
どういう場所に生きるようにされてるか。
全部私たちの 生きるが、書かれている。
Echadのイスラエルの神とお互いに一体の喜び=エデンの中に、
神の中に生きることが 書かれている。
何かを、努力でする。そういう事じゃない。
知識の木は、~になろうとする。ズレている。
もうそうなってるのに、そういう存在なのに、
騙されていた アダムとイブ。
あなたがこれを食べると、神のようになり、善悪の知識を
持つ事ができる。
神のようになり。もうなってたじゃない。元々から。
神の性質に似せて、DNAを与えられて造られてた存在
だったのに。
そうなっている。そうなろうとしてなるものではない。
なってただけなのに。蛇に騙された。
そうして、知識の木の実から食べる。。
これは別の食べ方だ。
命の木からの食べ方じゃない。
私達の
良い人になろうと
良い信者になろうと
主の栄光を表そうと、
一生懸命仕えようとして
奉仕しようとして、
伝道しなければと
捧げようと
犠牲になろうと
自己否定して、自分を空っぽにしよう
喜び楽しむことが、悪いことと、罪悪感を持ったり、
主に喜ばれよう、
許されようと、沢山祈って
自分の願いを、祈りを聞き届けられようと断食して、
乞い願う。
祈りの道場に入り、
朝早く眠いのに無理に起きて、
答えを求めようとこれだけやってれば、
主は私を愛して受け入れてくれると
教会の集会に遅刻せず、沢山出席し、
沢山献金して、そういう 思いで
聖書を読み、探し、祈り続けるなら
知識の木から食べた姿のまま、意識のまま。
~あなたは死ぬ、命が枯れる。
主の生ける水に浸らない状態。外に飛び出ている。
渇く。
そう言う状態になる。
気がつかなくても、死んでる。
命に生きることが、見えなくなるから。
別の目から、別の木の実を食べ続けるから。
命の木から、食べるのとは全然違う領域から、
違う事をすると違う状態になる。
あなたは死ぬと言われた通り。
それらしく見えるけど、それは 主が言われた
意図した事ではないなら死ぬ。
なんで、主が細かく、どういう素材で どういう形で
サイズで、神殿を建てさせたか。
ちょっとでも、違うものだと 主の物ではない。
そこに、主が現れる事が出来ないからだ。
でも多くの場合、気がつかないままやっている。
主が言ってない事を、努力で一生懸命やってる。
自分で造り出して。そんな事思ってない、していないと
思うけど、主のためと、思ってやってるから。
主の意図されたこと、状態でないなら
それは、主の目から見たら”ラー”=主の意図通りではない。
アダムとイブが 知識の木から食べた後どうなったでしょう?
あなたは、知識の木から 食べたら死ぬと言われたのに
すぐには死ななかった。すぐにはエデンの園を飛び出なかった。
体は同じように、生きていた。
でも神がお互いが見えない世界に意識が飛び出してしまった。
本来のデザイン、関係、命に幕がかかってしまった。
違う領域に飛び出して、しまった。
そういう事が今も起っている。
アバ父の、本当の御顔が見えない、声が聞こえない場所。
覆いをかけられて、分らない。
違う事を、違うように、違う場所でしたら。
自分じゃない、TOVの状態でなく、生きるなら同じ事が起る。
混ぜ物をした、添加物入りの言葉を知識の木から食べたような
食べ方をしたら飛び出してしまう。
主の意図された状態自分のTOvの状態にとどまる事が、
分らなくなる。
エデン喜びの園から飛び出てしまう。意識が別の王国に
飛んでしまう。
自分の努力で、頑張る。主を喜ばせるために。
それは全然 主の意図されたことじゃない。
わたしたちは 主のDNAで造られてる。
そういう存在だから、そう生きる、そうなる。
努力じゃない。
100%主からの一方的な働きかけで恵み、愛で
自分が生まれている。無償の保証。
新しくされている。
誰か、自分の選択、選びで天の親と地上の親と
そして、生まれるを選んで来た人
一人もいないはず。
だから TOVの状態でいれば、
それが TOV=あるべき状態。
そういう状態で生きる事が
主の意図された喜ばれると訳されている言葉だ。
トーヴ=その姿は、トラーの中に全て書かれている。
努力じゃない。
それを、思い出すために 安息日がある。
全ての努力 Strivingを止めて 思い出す。
安息から 生きる事が分らないと
別の物にすり替わり、こまねずみのように
頑張らせられるよ。
もっと 生きるを大事にしないと。
疲れる 家族が 破壊される
いつ、家族と、理由もないのに 顔を覗き込み
にっこり笑った事ある? ただただ 大事に
一緒に過ごす 話し合う。愛し合ってる
事確認することがある?
分裂、分離が起る。家族が ばらばらになる。
余計な活動に忙し過ぎて、普通の生活が出来ないなら、
家族生活が犠牲になるならそれじゃなくても、
忙しいこの世エジプトの社会で
生きているのに。
そんなこと 主の意図されたことじゃないから
危険を感じた方が良いと思う。
津波に飲まれる前に。
主は 私たち 生きることを、大事にガードしなさいと
語られている。
門番が、城壁の門で 敵が侵入しないように。
ノアは 家族を救ったんだ。
大事なのは自分の命を生きる。
そして家族と回りの共同体と主の教えの下で
喜びに生きる事。 お互いを 契約の中にいれられた
愛する家族。
なにをガードして生きるかを知らないと。
お互いを、いたわり合い、絶対に怒鳴ったり、ひどい言葉を
言ってはいけない。傷つけ合わない。
語るのに遅く~怒るのに遅く。
自分を含めて、多くの人がレッドカードにさらされる。
続く