今日はシャバット(安息日)の始まり | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ヘブライ人、イエス様が居た時は、礼拝って、どうやってたの?
知りたがり屋の私は、ありとあらゆる事が、想像に浮かぶ。
疑問は、答えを知るまで、心に引っかかる。
知りたい知りたい。
質問してみた。
もちろん、今のように、欧米文化で作り上げられた様式の
賛美もないし、礼拝スタイルも何もない。

シャバットの一番大事な事は、金曜日の夕暮れの
皆でする晩餐。

献金を、通路を 役員が歩いて、献金袋をまわして、
入れるとかそういうのも、全然ない。
賛美は、詩編からの、賛美だそうだ。聖書の言葉を賛美する。

聖書通読、Torah Portion Reading
(英語で トラーポーション リーデイング) 
聖書をその週読む箇所が3年間サイクルで決まっていた。
今でも、ずっと 続けられている。
サイクルの長さは、それぞれで、ちょっと違うみたいだが。

トラー(この場合モーセの5書をさす。トラーは、
神の言葉 教えだから、
そういう意味では、創世記から黙示録まで全部 
トラーであるが)
預言書=ナビーム Navim 諸諸=カトビーム Ketvim 
その上の文字を,取って
タナックと名付けられている。
全部の箇所は,お互い、関連する箇所が、つなげられて、
読まれている。

イスラエルに行くと、バス停に、日にちではなく、
Weekly Torah Portion(その週読む箇所)が書かれている。
結婚式の招待状もそうだ。日時がかかれていなくても、
いついつと分るそうだ。

当時、安息日に会堂に行くが、それぞればらばら。
ご婦人方は、丁度 家事が終わり
聖書朗読の時間に間に合うように、駆けつけるのも 多い。
行かない人もいる、義務ではないから。
出入り自由。

でも、会堂に行く事さえしなくても良い。
みんな家で過ごす事が普通だから。
会堂=殆どが誰かの家。

シャバットのの始まる、金曜日の、夕方の皆での 
晩餐がとても大事。
そこで、かみさまが 皆の中に 居る事がわかるから。
疲れすぎて、お互いの顔の表情も 分らないと。。
顔と顔を見合わせて、心通じ合う、触れ合う、
愛し合っている事、受け取られている事、 
許し合ってる事確認する。
修復と、癒しの時だね。
どんなに、貧しくても、食べる。それには、お金がある人が、
ない人を、補う。献金の一番の、目的。

そして、 聖書朗読をする人は、もうずっと前から 
決められている。
そうそう。町内会の、お仕事振り分けみたいな。この月は、
誰が班長さんでどこのグループの人が この日に 草刈り?
溝掃除。
そういう事のように
割り振りが決められた。

そして、言葉が、難しいので、アラム語で、
解説する人が隣にいた。
その,聖書朗読された箇所の、解説をする。
ミシュナが、その聖書の口頭解釈だ。
奥の深い、コメンタリーだ。
パウロも聖書に、引用しているね。

聖書の中に,イエス様が、この聖書朗読をしている所がある。
私は、この文化や、集会のシステムに関して、知らなかったので、
イエスさまが、勝手に,前に出て、自分で、勝手に選んだ、
聖書箇所を、皆の前で読んだと思っていた。
いや~間違いだった。
この日、決められた箇所,3年サイクルで。決められていた,
聖書箇所を
イエス様が、読む事に前々から、予め、決められていたんだね。
偶然じゃない。


イザヤ61章1,2節を朗読され、「あなた方がいま聞いた
この聖句は,きょう成就しています」と言われました。



決められていた箇所を、担当のイエス様が、丁度ご自分の事が、
書かれた箇所を
読まれたんだ!!! 
すべて、偶然はない。。凄いことだね。