Echad
この言葉が初めて紹介されたのは、アダムとイブが造られた時。
二人は一体であった。あのEchadだ。
ヘブライ語で、一つを表す言葉だ。
ヘブライ語には,一つを表すのに、2種類の言葉がある。
Yachid(ヤヒード)単数で一つ。
もう一つは、複数であるが、全く一つを,
表す,Echad(エハッド)
申命記 6:4
「シェマー イスラーエール アドナーイ エローヘーヌー
アドナーイ エハード」
聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
この、最初の シエマー、聞けという言葉も、聖書で、
従うという言葉に訳されている。
しかし、オリジナル聖書の中には一度も”従う”と
言う言葉は出て来ない。
全然違う印象を受ける二つの言葉。
聞くと従うでは大分違う。
従うと言うのは、つまり、主の声をきいて、
それに気がつくなら、
その通りにするだろう。
ヘブライ語で、 主の声の中にいて、
その中で主の声を聞くなら、という事だね。
主の声の中。エデンの中。主の声は、
小川のせせらぎのように、小さいけど、いつもいつも
そこにある。
だから、静まって聞くなら分るんだね。
アダムとエバは なぜ Echadなんだろう。
それは、アダムの骨から、エバが、
造られたからだね。
骨 それは、同じ骨髄 要素,エッセンスを、
共有しているからだ。
勝手に、思いめぐらしているのだが、
”命は血にある”と主が言われた
あの事も関係あるのかな。同じ命を共有している。
骨髄から血液は造られるものね。同じ要素だね。
だから、一体なんだ。
聖書の一つの事を、考え始めると、
色々数珠なりに考えが、飛ぶので
スタートの話題からずれているように、
見えてしまうね。
また続きは 後ほど。