レビ記23 章には、神が創造された神のモアデイムの全てが 記されています。 それがいつなのか、どんな意味の祭り、記念日なのか、 神が直接語られた言葉で記されています。 神の教えが廃れたという、ローマ皇帝の大嘘、偽情報を信じると、聖書に書いてある意味は見えなくなります。 自分で勝手に、神の教えは古い、終わり!と、読み違えているから、聖書に記された事実が正しく読み取れないままなのです。 そして、神の教えの全部、完全版を知らないから、マタイ以降に記されている、トラーのほんの少しの教えだけを知っているに留まってしまうのです。 そして、マタイ以降に記されているのは、トラーの抜粋であり 神の教えの完全版、全詳細は記されてはいません。 だから、クリスチャンは律法に戻るのか!と言いながら、実は 律法という誤訳で表されている、神の教え=トラーを本当は 知らないままであり、実際に、生きてもいません。 神の教えのある部分を、知っているだけです。聖書に書いてあることを本当に学ぶと、聖書にはこんなすごいことが書かれていたのか!と感動、驚くはずです。 クリスチャンの中で語られる聖書の内容が、本当に狭い狭い狭い範囲のことに関してだけしか、語られていないのです。 そうでしょう。神の教えの全貌が書かれている箇所75%を 捨てて、ないがしろにし、古い、廃れた、無用、関係ない!と言い続け、そこに一体何が書いてあるのか、書かれている意味通り学ばず、教えられず、神が創造された神の子らを呼び出している本物の記念日さえ何か分からず、祝わない。 そして、そこに書いてあるのは、実際に何が廃れて、何が廃れてないのか、分からないまま、自分勝手な基準で勝手な事を 言っているだけなのです。 10の言葉は、神の教え=トラー、聖書の柱、土台です。 それは、タイトル、項目、目次であり、モーセの五書全体を 通して、10の言葉で書かれたタイトルの内容を、解説しているのです。 創世記は、個人、家族、親族、小さい範囲の人々の人生を通して、イエシュアの全てが記されています。 イエシュア、メシアがそこに記されているのです。 そして、モーセの五書全体で、人の本当の生き方を、神が教えていることが書かれています。 出エジプト20にある10の言葉の1つだけ、シャバットに 関してだけ、覚えてとあります。 他の9の項目は、同じように、覚えてとは書いてありません。 シャバットが記されているという意味、イコールそれは、 レビ記23章に記された神の記念日全てを同じように祝うこと なのです。とても、重要な神の教えなのです。 これは、神が神である事、創造主である事、世界の全ての中心であり、主権者であることを宣言しているのです。 そして、神の記念日は、神の子らに与えられた婚姻指輪、印です。額に何の刻印があるのか?です。 そして、人が神が言われた通りを聞いて生きる!という基本的 態度、生き方を教えているものです。 なぜなら、人が、神がシャバット=神の教え、記念日をガードし生きて!と言われた言葉そのものを無視する! その態度こそが、神に敵対する意識、神の教えを蔑ろにする思想、鎧兜に隙間が出来て、危険な状態になる行為である事に 全く気がついてないのです。 神に対しての敬意、尊厳を認める意識を持たないことになるのです。神の言われること、重要なこと1つを無視?他の9も、 いい加減にしてしまうということに、繋がることに気がついていますか? だから、神の教えは廃れた!と平気で言えるのでしょう。 そして、聖書を教えるはずの教師、牧師が、LGBTに賛成、 容認し、それが愛などと勘違いしているのです。 トラーを知らない人には、神が伝える愛の生き方など分かる わけなどありません! 世も末そのものです。偽教師が、神の教えを否定し、神の教えとは真逆な666の思想を教えている、おぞましい世界に なっているのです。 神の教えの1つ、人間が勝手に変えて良い!という考え自体が 神とぴったり一致せず、合致、一体とならず、その代わり、 神の教えを否定せよ!というサタン、蛇の声に同調しているのです。これ、本当に何を信じて、何をやらされているのか 聖書に基づき考え直したら、はっきり神の言われている警告の意味が分かります。 聖書をパウロのような教師に正しく学ばなかった人が、勝手な思想を編み出して、西洋人の作った宗教に聞き入り、信じ、 そして神の教え、トラーを捨てた思想を土台に作った西洋宗教の教えを解説する教理、神学を作ってしまったのです。 偽情報に騙されるなかれ!です。 ある部分、聖書の真実だから、それが本当だと思い込んでいるのです。 でも、神の一番の警告は、人間の作った宗教、思想を神の教えを取り入れて、混ざった不純物の思想、宗教を通して、イスラエルの神と関われない!とはっきり教えているのです。 波長が違う、周波数が違う、性質が違う、偽物!混ぜ物 添加物だらけの異物、とてもじゃない食べられない!吐き出そう!と言われた高き所の礼拝、姦淫の罪とはまさにそれです。 ヨハナンは、ヘブライ人です。モーセの五書、預言書を解説しているのです。 みんながやっているから、言っているから、それが正しい、良いのだ!そんなことにはならないから、だから危険なのです。 一方、偽もの教えが浸透した裏で、どの時代も残りの民を神が 保存し、神の純粋な教え、トラーを生きていた人が存在していた、いるのです。 そうでなかったら、世界は偽情報、偽物の教えで染まり、偽物の教えを教える教師により、本物の神の声、言葉を知ることなど出来ません。 だから、神はユダヤ人を選び出し、神の教えを厳重にガードし 曲げない、変えないで生きる!ということを、教えたのです。 秋の祭りは、第7月の第一日、ヨムテルア、角笛を吹く日が ありました。この日も、シャバットとして止まり、祝う日です。そして、10月2日、水曜日日没が、大贖罪日、 ヨムキプルの日であり、この日もシャバットとして止まります。 それから、5日後の第七の月の15日、仮庵の祭りの7日間がやってくるのです。これらは、未来のイエシュアの再臨、 世界統治、永遠に生きる世界に入ることを表している祭りなのです。 神が言われることを、イエシュアを信じながら無視する。 それが、1つの仰せ、しかも神の子らに取って、神にとって 重要なミクラコデシュ、アポイントメントの日を捨てる! これって、重大なズレです。傍目からみても分かるでしょう。 神の仰せを廃れた!という、ローマ帝国皇帝の思想を信じ、 復唱し、その結果、神の教え、トラー、神の記念日を捨てて ローマ帝国が作った人造宗教の教えに、異邦人は強制的に 乗り換えさせられてしまった!やらされたのです!それを 継承し、浸透し定着し恒久化したただけ!そのことを、はっきり知らないとならないのです。 歴史の中で起きたこと、国、政府、時の権威者、リーダーの 政策、方針に従わせられた!これが、クリスチャンが神の言葉を否定する教え、聖書を正しく教えられいないまま、人間 ローマ帝国が作った宗教思想で、聖書を曲げて解説し 古い箇所に書いてある教えは廃れた!と信じ込んでいる 本当の原因です。 古い箇所?神の教えはモーセの五書に書いてあるものが完全版 であり、マタイ以降に記されているものは、モーセの五書の ほんの短い抜粋なのです。だから、クリスチャンは神の教えの全貌、内容を、丸ごと教えられいないから、殆ど聞かされていない!少ししか知らない!ということを、知らないとならないのです。 クリスチャンがマタイ以降を読んで、感動している神の教えは 100%クリスチャンが言っている律法そのものです! 律法という言葉も削除してください。律法という言葉で表される、神の言葉は聖書には書いてありません! たくさんの勘違い、誤解を神の言葉、神の性質に対してしているのです。 1)ユダヤ人は古代、律法を生きて、かろうじて義とされ 仮に許されていた。 2)又は2000年以前に生まれた人は、皆地獄行き。 救い、許しもない、聖霊も人の内側に住まわない時代だった。 3)神の教えは、する、しない掟リストで、厳しい呪いの律法だった。どんなに人がダメな存在か、それを通して教える目的 だったので、イエシュアが十字架で、不必要な律法を破棄し 終了して下さった。 こんな偽情報を教えられ、刷り込まれたら、神の言葉をどうやって正しく知ることなどできるのでしょう?と考えた方が良いです。聖書の最初の箇所に、神の言葉の完全版が書いてあるのです。 聖書に登場する人は、100%モーセの五書、預言書、諸書 しか知りません!それで完全版だからです。 それを、その通りに理解する人は、手引き、註解書、参考書を 読まなくても、神の教えが理解できます。 なぜなら、イエシュアが言われた通り、イエシュアがされること、イエシュアそのものが、トラー、預言書、諸書に記されている!と言っているでしょう。 創世記〜申命記に記されていることは、今、今日、この時も 変わらない神の教え、仰せであり、それを知らない、いや廃れた!と考える人は、自分が基準で神の教えを勝手に仕分けて 読んでいることに気がついてください。 自分教を生きることをしてしまうのです。 なぜなら、神の教えを捨てて、知らないまま、ローマ帝国 西洋人が作った教えに変えられたものを、生きさせられていることを知らないからです。 ユダヤ人の教えや記念日と、クリスチャンは交わらない! と教えられているのは、イエシュアがカトリック教という 新しい教えや記念日、聖書に書いてもない教え、記念日を 生きるようにされた!という偽情報を信じているからです。 いや、クリスチャンは、イエシュアと交わらない!と言っていることに気がついて下さい!実際にそうしているのです。 これが、はっきり分かる、神が神の教えを蔑ろにして捨て、 そして、別物の教えを取り入れて混ぜるものを、断固として拒否厳重警告しそれをするなかれ!と言っているのです。 神は人を人種に関係なく、同じ人、一体、エハッドとして 造られたのです。だから、アダムとハヴァが罪を犯したら 全人類、今の今日に至るまで全ての人が影響を受けていること 考えてください。 別々だったら、その人以外、影響を受けないでしょう。 人は一体として造られているからです。 神の子らも、分裂した群れではない! 弁護士ダービーが、トラー、ヘブライ聖書をパウロのような 教師と決別し、西洋宗教の思想を教える教師に聖書ではない教えに学んだ弊害はずっと続くのです。 問題の根、偽物の教えの種を一掃しないとなりません。 クリスチャンは、古代ユダヤ人は律法を生きて神に義とされ許されたなどという、聖書とは真逆の思想を唱えていますが、 それ、聖書ではないです。 古代のヘブライの世界の婚姻を知るだけで、イエシュアがどうして家の外に立って戸を叩くと言っている意味が見えます。 大事な情報に欠如して、空想で読み込んでいるから、見えないのです。 神が言う通り、誰一人神の教えを生きたから義とされた、 神の花嫁、新しい人にされたのではありません!という事実からだけ考えて下さい。 人間の努力で、自分で自分を救い出せないと、分かりませんか?そう書いてあるし、体験上でもそれをクリスチャンは 知っているではないのでしょうか? それなのに、事実と真逆なことを言うのは、聖書ではないことを教える、偽物の教えのせいなのです。 古代ヘブライの世界、ヨセフとミリアムを見ても分かる通り 婚約時代、イコール結婚していることと同じステータスになるのです。 そして、花婿が花嫁がどんなに遠くの地に住んでいても 迎えに行くのです。 トラーを知れば、古代の嫁入り、娶ることを知れば見えます。 詰まり、何を教えているのか。自分の力、業、行、努力で神の 元には戻れません!どんな人種でも同じ、どの時代も同じ。 花婿の方から、花嫁を迎えに来て、花婿の家に連れて行くのです。 イエシュアも言われたでしょう。天の神の家に部屋を準備して 又迎えに来る!と。それを聞いていた弟子たちは、イエシュアが何を言われたのか理解したのです。 日本人には、真相がぼやけて見えないでしょう。 そうです。イエシュア=神の方から私達、失われた人、 エデンから飛び出て、エデンの外に閉じ込められた人のところに、生ける水として流れ出て捕まえに来てくれた! 絵画的教えとして、見えるでしょう。 だから、イエシュアが戸の外で戸を叩くと言われたのです。 花婿が迎えに来たから、花嫁は戸を開けて、迎えに来た花婿を 受け入れて一緒に花婿と住む場所へ行くのです。 だから、異邦人が人が律法を生きて義とされた!と言い続ける 偽情報、一切やめましょう。 それ嘘です。花嫁とされた人が、花婿の家の家訓を1から知り 花婿にふさわしい花嫁、新しくされた花嫁の性質を生きる! と教えている、それがトラーに記されているのです。 神の教えを知らないまま、勝手に生きる花嫁、それはジャじゃ馬と同じ、野生、神の家に娶られた人の自覚が無い人です。 自由奔放に生きていいよ!そんなことを言う花婿、イエシュアではないからです。 しかも、異教の神々の教え、儀式、記念日を通して、イエシュアと特別な日を祝う?それこそ、要らない隣の旦那を交えて その記念日が台無しになります。 なぜなら、花婿イエシュアが設定してくださった祝宴をその 意図通り、主旨通り祝う!それこそが、本来の喜び体験 祝福、神との本当の出会い、特別な出会いをするのに、 水を差す行為だからです。 いらない、知らない隣の旦那は連れてこないで!てことです。 |