"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ハヌカの最終日、12月21日日曜日の夜、神殿の壁での最後の

キャンドル ライテイング セレモニーに行って来ました。

その場所に行かなくても、あらゆる場所でキャンドルライテイングは

出来ました。街中、至る所にハヌキアが置かれていました。

友人達は、歯科の予約がお昼にあったので、歯科医の場所に車を止めて、私は一旦分かれて、徒歩でヤッファ門の前にあるマミラホテル

ショッピング街まで、まず歩いてみました。

イスラエルには2023年8月以来、2年半ぶりでした。

毎年夏に引っ越しがあり、転勤など移動が繰り返されて、

更には戦争などもあり、なかなか来ることが叶いませんでした。

 

イスラエルに来るたびに、新しい発見があります。

知らない事が、本当に多くあります。

現地に住む友人に聞いていても、実際に目で見て体験しないと

分からない事がたくさんあるのです。

戦争の間、至る所にミサイルが撃ち込まれていました。

全てほぼ、アイロンドームで撃墜したそうですが、イスラエルの中に

落ちたミサイルの多くは民家を避けて落ちたそうです。

神の御手に守られている。しかし、多くのイスラエル軍の若い兵士も

亡くなり、一番大きかったのはノバパーテイで殺戮された人々と、

人質に取られた人たちでしょう。

完全に悪魔の仕業以外にないのです。

この国、イスラエルの場所を欲しいのではない。

ただただ滅ぼしたいだけなのです。

世界の報道のソース、大元は3つしかありません。

そして、その大元が流したい事を、世界中で同じように報道されているだけなのです。

ある日本人でアメリカに住むYoutuberが、どれほどイスラエルが悪いのか、イスラエル軍がガザの子供達を撃ち殺し、飢えさせているなどとしきりに言っていましたが、全部嘘、偽情報を信じているのです。

イスラエル軍程、人道的である意味トラーに則った戦い方をしているのです。

ガザ地区の一般市民に職を与え、そしてこの戦争中も市民を保護し

安全に退去させようとしているのに、ハマス、テロリストが市民を

人質のように囲い、閉じ込め、そして拘束し、病院や学校を先頭拠点にしているので、その場所をイスラエルは徹底的に叩かないとならないのです。

彼らは生まれた時から、イスラエルを殺すように教育され、槍で

イスラエルを殺害することを小さな子供が教えられるのです。

柔道や、スポーツを集団で教えられるように、イスラエル殲滅実行を

教えられ、訓練されるのです。悲惨な子供達。

もちろん、ガザ地区に住む、一般市民こそがハマスを嫌い、憎み

彼らが権力を失うことを誰よりも願っているのです。

そうですよね。

殺人鬼がリーダー、悪魔がリーダーなど、一体誰が望むのでしょう。

このガザ地区への支援、援助は市民になど行かず、全てハマスが握るのです。エジプトも同じだと言っていました。

エジプトに東京都知事が支援金を送っても、それは一般の人には

渡らず、リーダーの懐に入るだけなのです。

 

イスラエルでは、ユダヤ教、超正統派、黒装束を着ている人たちを

見ます。

ユダヤ教、〜教とはどれも宗教であり、純粋な神の教え、言葉、

イエシュアが教えた父の教えに人間の教えが混ぜられたものです。

 

ユダヤ教は、ラビ達の見解で解釈されたトラーをどう生きるのか?というものが、タルムードという書になっていて、それを彼らが学ぶのです。

その中には、トラーの正しい解説もありますが、殆どが、何何ラビが

どう言った、何何ラビがこう言ったという、ラビ同士の対話が描かれていて、ラビの解釈を学んでいるのです。

キリスト教と同じ、自分の群れのリーダーの教えには逆らえないのです。

キリスト教、カトリックも同じです。

中世まで、人が理解出来ないラテン語で聖書を司教達だけが読み上げました。

誰も理解出来ないから、教皇、司教、教父たちの独自の解説、見解を

して、それらを聞いた普通の人がそれが聖書の解説であると信じ込ませれているのです。

今もある意味、全く同じです。誰かが解説する、神の言葉とは違う

聖書解説でも、それが聖書解説とされているから、それが聖書だ、

本当だと信じ込んでいるのです。

カトリック、西洋宗教、キリスト教ですが、それらの宗教の教理、

思想を教えられないまま、純粋にトラーだけ、そこに書かれている事だけを聞いて育つユダヤ人も、そう多くはありません。

 

でも、その中に記されている通りだけを聞く人にとっては、西洋宗教は完全に異物、別物の違う宗教の教えに聞こえるのです。

ある意味、ユダヤ教も同じです。

イエシュアが地上に来られた時、一世紀当時のユダヤ人の間にあったものは口伝律法です。

今は、タルムードとなって、書物でそれらが記されていますが、

そのような人間の解釈の聖書解説、生き方とは違う、純粋な神の教え

トラーをイエシュアが語り、その当時、人間の教え、解釈を生きるように縛られていた人には、神の言葉そのもの、天直送の神のトラーの解説をイエシュアがしていたから、冷たい水を飲むように生き返った体験をしたのです。

宗教の教えは人を確実に縛ります。聖書ではない教えをやらされる

宗教活動も、献金も聖書=神の教えなどではありません。

友人が面白い表現をしていました。キリスト教もその他も、人間の

教えに縛られるのは、タコの足が頭に張り付いた感じ、それをいくら切り離しても、元が切れない、それら=人間の教えがどっぷり思考回路を占拠しているので、どうしても宗教の教え、見聞きし、教えられた通り、神の言葉とは違う事を教えられて来たとも、全く気がつけないままいると言っていました。

 

西洋宗教思想、思考、聖書解説が、聖書とはどう違うのか?というのは、トラー、聖書、神の言葉に戻れば見えて来ます。

聖書の中には、人間が作った宗教の教えや、実践や、活動や、組織

など、書かれていません。

アメリカなど、メガチャーチ、繁栄の神学、カリスマ、奇跡、預言

様々な思想やムーブメントがありますが、それらは全部人の思考から

編み出された聖書とは違う教え、宗教の実践、生き方です。

 

多くのユダヤ人も超正統派の人々を、とても煙たがっているのです。

なぜなら、神の教えではなく、人間の教え、決まりを彼らが他の人に

するよう強要してくるからです。一世紀と同じでしょう。

 

例えば、多くの超正統派がある場所に移動、移住してくると、彼らの思想、ルールを他の人にも強要してくるそうです。

エルサレムのすぐ近くにあるベトシェメスという街がありますが、

その街に多くの超正統派の人々が移住して来て、色々と問題を起こしたそうです。

でも戦争により一般のユダヤ人と超正統派との間に団結、一致が

もたらされたと言いますが、結局、どのみち、神の教えからズレると

人が人を縛るような事になってしまうのは、どこも同じです。

 

普通に生きる、神の教えに根付いて生きるのに、宗教の教えを生きる事にすり替えられてしまい、疲れるのです。

真実が見えないまま、宗教の教えという煙の中で、神が教えている

本当のこと、本当の自分が何かが見えなくなるのです。

 

ハヌカは、レビ記23章にある神の祭りとは異なる祭りです。

それなので、祭りの最初と最後の日もシャバットとして休みにはならず、普通の日だったのです。でも、この祭りを祝う意味があります。

同化、同調、迎合、偽物の教えが浸透し、神の民である生き方を汚される事から、洗われること。

そして、イエシュアが祝われていた祭りでもあるのです。

ヨハネ10:22-23

過越、一番盛大な祭りは仮庵で、そしてハヌカ、プリムがあります。

祭りの時は、世界中から色々な人がイスラエルに来ます。

今回も、世界中から大勢の人が来ていました。

ツアーの🚩を持ちながら、色々なグループが歩いています。

ここにいる友人達のグループにも、色々な人がいます。

やがて、未来は空中軽挙で消えるのではなく、皆がイエシュアを王の王、主の主として、神の国、神の家、祈りの家を中心に1つになる日が来ると預言されています。

そして、全て人の中身、内側が変えられて、「誰も主を知ろう」

と言わなくても、裏も表も神=神の教えを知り尽くして生きる状態になると預言されているのが、エレミヤ31章の新しい契約を生きる民

神の大家族の姿が預言されているのです。

 

偽物の教え、偽物の教えに縛られたら、その時点で本当の自分、神が伝える真実が妨害されます。ましてや、神の言葉が廃れたなどという嘘を最初から教えられているのです。

エデンの園の蛇の声を最初から刷り込まれてしまっているのです。

 

新しくされた人から生きる事が分かれば、様々な真理を紐解いて、

神が教えている事の扉が開くのです。

人が、神の言葉を捨てる行為、神の教えのどの部分でも捨てる、

いや大部分捨てている、その時点で、神を知るという手がかりを

殆ど捨てている事に気が付かないとならないのです。

 

教科書を捨てて、学校に行く生徒は、先生が何を語られているのか

教えているのか、分からないまま、分かったつもりになれるのと同じです。

生徒が教科書、真実を知る手がかりを捨てないのに、神の教えは廃れた、捨てよと教える、それを聖書=教科書=神の教えと信じる、

本当に不思議な現象が20世紀近くも続いているのですが、

その嘘から真実に目覚めさせるのは、神の言葉以外にないのです。

 

あるパスターが、聖書理解をこう解説していました。

キリスト教の教えの中にある通り、ある部分は聖書の真実を発見しても、どうしても、神の教えが分断されていて、この教えは今生きる

これは生きないというものがあると、考えているのです。

神の言葉は全部丸ごとで1つ、完全であり、分解できないという、

神の言葉の性質の正しい理解がないまま、もしかして、聖霊が、

個人的に、その人により、これ、あれ、それを生きて、これ、それ、あれは今生きないなどとどう教えていることを理解できるのでしょうか?と言っていましたが、完全に勘違いしているのです。

神の教えは、全ての人に対して同じように語られているものであり、

ある人には関係ない、異邦人には関係ないなどと、神は1度も教えていません。だから、異邦人も同様にと書いてあるでしょう。

同じ1つのイスラエルの神の大家族に加えられたからです。

神の言葉を読めば、全て100%それらは今も有効な神の教えであるという理解が欠如しているのです。

偽物の教えを教えられているから、神の言葉の性質がわからないのです。神の語る事実を知る手がかりは、神の言葉だけなのです。

それを捨てよ?では、どうやって、神が伝えることが分かるというのでしょうか?

翻訳で、おきて、定め、戒め、さとしなどという言葉があるので、

ある部分は今は生きない、ある部分は有効と、聖霊が教えるのでしょうか?という質問なのですが、神の言葉は分断できないという事実に

立たない限り、聖書が語る真理に立たない限り、神が伝える永遠の

真理は見えなくされてしまうのです。

サタンは巧みでずる賢いとある通りです。そしてサタンは嘘つきで

人を騙すのです。神の言葉から離れるように教えるのは、神ではなくサタンであることを、聖書から知らない人には見えない世界なのです。

神の教えを捨てること、正義、恵などと、嘘を教えられているからです。イエシュアは神の教えを十字架にかけて抹消したなどと、聖書には書いてありません。

信じたらユダヤ化されるな、神の教え=トラー(律法)に戻るな!それらのスローガンは全て、出どころはサタンなのです。

 

丸ごとで、シャローム、何も欠けがない状態、それが神の教え、

言葉、トラーなのです。

モーセの五書が神の言葉の完全版であるという、神が伝える事実を

正しく教えられていない、聖書から発見していない事に問題があるのです。

神の教えは、2つありません。神の教え、言葉の完全版はモーセの

五書以外にありません。聖書には、モーセの五書とは違う教えなど

1つも書かれていないという事が、聖書から見えない人が、聖書とは違う聖書解釈をしているだけなのです。

今は神殿が存在していませんから、神殿の中に入る上での規定など

実際に実行されません。レビ族は、神殿祭司として、神殿に今仕えて働いていません。

しかし、神の家の中に入るという事、神との関係にある真理を教えている、それがモーセの五書に記されていますから、同じ共通の真理、教えは、今も変わらないのです。

神は人間ではなく、汚れ、ズレを持ち込んだまま、神の家に入れない事を、神の言葉ではっきりと教えているのです。

キリスト教が色塗るイエシュア像は、聖書に書かれているイエシュアとは違います。

なんでも受け入れる神ではない。ズレ、汚れを持ち込み続けたまま

神との親しい関係には入れない事実が聖書には書いてあるのです。

勝手な教え、聖別を通して、神には近づけない理由が、たくさん

記されているのに、神の教えを捨ててる人には、それが見えないだけなのです。

神が聖別された場所は、神が言われた通りの生き方をして生きる

これは諸外国にいても、同じなのです。

なぜなら、聖別という意味は、世俗的な事から区分けされ、境界線が敷かれ、神の目的通りに、取り出され、分たれているという意味だからです。

きれい、きたないという、そういう事意味とは違う、神の目的通り

つまり、神が伝えた通りの実態を生きる事に呼び出されている、

それが聖別の意味なのです。

神の聖別の定義を、人間が勝手に言い換えても、それは神が伝える

聖別とは関係のないものなのです。

だから、神が創造されたモアデイムを人間が作り変えて、聖日、主の日と、人が勝手に言い換えても、それらは神の前には全く無意味なものなのです。

それが、理解出来ない場合、聖書、神の教えとは違う、人間の教えに聞き入り、それが神の教えだと誤解しているだけなのです。

神は人間が神の教え、記念日を作り変える事、これをどれほど禁じ

忌み嫌う、拒絶すると言っているのか聖書から理解しない人には

通じない神の教えです。それがハヌカのテーマでもあるのです。

同調、混ぜ物、迎合、神の教えを人が捨てる行為!

 

もしも、キリスト教の教えのように、神の言葉を人間主体で今は選択できるというならば、それは神が警告しているように、地上での

神の宮である人が、偽ものと交わり、区別が付かなくなり、異教徒と

同じように生きて、神の栄光、イエシュアの実態を反映できない

曇った鏡状態になると教えているのです。

 

ミサイル爆撃により木々が燃やされた。

 

ハヌカ最終日 8日目。

 

日没には、この場所がいっぱいになる程の人で埋め尽くされた。

 

 

 

ヤッファ門を出たところの壁に映像が映し出されて