I'd rather have Jesus
(キリストにはかえられません)
sung by Buller, Balzer and Aichele
I'd rather have Jesus
(キリストにはかえられません)
sung by Buller, Balzer and Aichele
このビデオの途中で「二人の証人は人間ではない」という部分に差し掛かった時、私の脳裏に○○と××という答えが浮かんできました。
そして、その答えが最後の方で明かされた時、正にわたしの脳裏に浮かんだものと一致し、体に電気が走ったような感じを受けたので、ここに載せることにしました。
黙示録で言及している二人の証人とは誰、或いは何のことでしょうか。
黙示録11章
3)それから、わたしがわたしの二人の証人に許すと、彼らは荒布を着て千百六十日の間預言する。
5)彼らに害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。
4)彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。
ゼカリヤ4章
11)私はまた、彼に尋ねて言った。「燭台の左右にある、この二本のオリーブの木は何ですか。」
12)私は再び尋ねて言った。「二本の金の管によって油をそそぎ出すこのオリーブの二本の枝は何ですか。」
13)すると彼は、私にこう言った。「あなたは、これらが何か知らないのか。」私は言った。「主よ。知りません。」
14)彼は言った。「これらは、全地の主のそばに立つ、ふたりの油そそがれた者だ。」
油そそがれた者とは誰のことでしょうか。
この聖句の「油そそがれた」という言葉は、「光を生み出す」という意味です。
もう一度読んでみて下さい。
黙示録11章4節(略)
黙示録中の二人の証人は、ゼカリヤ書の4章でオリーブの木と言及されています。
では、オリーブの木とは一体何なのでしょうか。
士師記9章
8)木々が自分たちの王を立てて油をそそごうと出かけた。彼らはオリーブの木に言った。「私たちの王となってください。」
9)するとオリーブの木は彼らに言った。『私は神と人とをあがめるために使わされる私の油を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。』
オリーブの木が正に言ったのは、「私達は神の御霊によって世界中に出て行って広めなければならないだろうか」です。
証人は人間でしょうか。
いいえ、彼らは人間などではありません。
私達はこの事を知っています。
なぜなら、人間が世界中に広めるのではなく、神の御言葉(霊)がそうさせるからです。
黙示録11章3節(略)
荒布とは何でしょうか。
荒布とは、喪失を悼み、不穏な時を悲しみ、悲しみや苦しみの時を意味します。
荒布は、嘆き苦しみを表現する時に着用されました。
二人の証人は、荒布をまとって1260日の間、不穏な時をそれぞれ嘆いているのです。
聖書はまた、オリーブの木が管から鉢に油をそそぎ出したと述べています。
鉢に継続的に注ぎ出される光の持ち主(聖霊)が二人の証人を作り上げます。
聖書は、それからオリーブの木(証人)は神の御言葉であるといっています。
ゼカリヤ4章6節
すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万群の主は仰せられる。
証人とは聖霊による預言(御言葉)です。
どんなに過去にやっきになってそれを破壊しようと試みていたとしても、第一と第二の聖書は今も尚生き残り続けています。
神の御言葉は、第一と第二の聖書から来ています。
耳のある者は聞きなさい。マルコ4章9節、マタイ11章15節
二人の証人とは、神の御言葉の(詰まった)旧約聖書と新約聖書のことです。
(ビデオはここまで)
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そう、○○と××に入る答えは、旧約聖書と新約聖書のことになります。
そして、この二人の証人は後に底知れぬ所から上って来る獣によって殺されてしまいますが、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らに入り生き返ったとあります。
ここから、神の御言葉は一旦獣によって破壊されてしまいますが、再び神によって取り戻される事を意味しているように思われます。
そして、新旧の御言葉は神のもとへと引き上げられ、永遠に神のものとなるのです。
ここら辺のことは黙示録11章7~13節から読み取ることができます。
テモテⅡ3章
16)聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
17)それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
これと似たビデオを以前に見て、「ウワー、そこまでこだわるか!?」と思った内容です。
AIのグーグルやアレクサ、そしてシリに英語で「イエス・キリストって誰?」と問いかけると、100%の確立で誰か分からないというような返事が返ってきます。
殆どが冒頭に「ウィキペディアによると」という言葉から入るのですが、そのウィキペディアを開いてみると、ちゃんと説明がなされているのにです。
他のアラーや仏陀、モハメッドやモーセ等の宗教や宗教人を尋ねるとちゃんと答えられるのに、イエス・キリストだけ答えられないというのは何とも奇妙な話です。
また、ペテロについて尋ねると、ちゃんとイエス・キリストの弟子というように答えています。
これは、闇の(悪魔崇拝)組織が私達の意識から完全に救い主イエス・キリストのなさった御業や真実を消し去ろうとしているからに違いありません。
悪魔は、私達を光であるイエス様の方に近づけまいとして、このような姑息な方法を使って真実を隠そうと躍起になっています。
因みに、日本語で「イエス・キリストは誰?」って訊いたら、同じような返事が返ってくるのでしょうか。
たぶん、きっと同じように分からないと答えるのでしょう。
これは、フィリップ・ウィリアムス氏が2014年にトルコにあるアララト山の遺構、ノアの方舟の第二甲板を訪れた時に撮影した写真の数々です。
今、この終末が近づきつつある時代に、次々と聖書の物語が架空のものなどではなく、事実であると証明されつつあります。
しかし悲しいかな、この事実は大々的に公開されていません。
むしろ、否定的な目で見る人達がなんと多い事でしょうか。
クリスチャン以外の人達は勿論、クリスチャンである人達の中にもです。
私がこのビデオのコメント欄を読んでいた時、何故だか悲しくなり涙してしまいました。
そして、心にふとこのような言葉が浮かんで来たのです。
「私がいくら証拠を出したとて、それでも人々は信じようとしない...。」
私の中に住まわっている聖霊様が、悲しんでおられるのだと思いました。
神様は、この終わりの時代に当たって、今まで明るみにはしていなかった多くの聖書的史実を、取るに足りないロン・ワイアットというアマチュア考古学者を用いて公にしようと試みたのです。
しかし、多くの権威ある考古学者やクリスチャン、そして知識人達は、彼の調査結果を否定し私達の目から隠し続けて来たのです。
マタイ24章
35)この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることはありません。
36)ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。ただ父だけが知っておられます。
37)人の子がくるのは、ちょうどノアの日のようだからです。
38)洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。
39)そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。
40)そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
41)ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
42)だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。
43)しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目をみはっていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。
44)だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。
Fly Away
by Lifebreakthrough