今週に入ってこの言葉が頭を過ぎり続けています。
Get right with God! Time is short.
神の前に正しく向かい合いなさい!時は縮まっています。
神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。(第二コリント6章2節)
主は言われます。「これは憐れみの日であり、恵みの日です。」
今正に、あなたが神と正しく向き合う(
神の目にかなう者)となる時なのです。
パウロは、「軽率に憐れみを受けてはいけません。主の御腕に戻るために、イエス様の優しい呼び声に背を向けてはいけません。」と言っています。
これは恵みのメッセージですが、同様に警告でもあります。
イエス様は終りの日には、多くの人々が冷たくなると警告しています。
御言葉は、「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」(マタイ24章12節)と言っています。
そして、これは彼が言うところの「産みの苦しみの初まりの時に起こる」(マルコ13章8節)と言っています。
そして皆さん、私達はイエス様が語られたその只中に生きています。
私は、私達が産みの苦しみの始まりの中に生きているのだと心で信じています。
そしてイエス様は、「それらの時代、産みの苦しみの初めに、多くの人々の心は冷たくなり、彼らは(神に)背を向けるだろう」と言っています。
これは、御言葉によると、キリストの愛する呼びかけを拒絶する時ではないという事です。
私は人々が、「私は自分の都合の良い時に、いつでも神様と正しく向き合う事が出来ます。私にはその時が分かるだろうし、その用意が出来た時、私は神様に近づきます。」と言うのを聞きます。
冷たさは、頑なさに繋がります。
主は、「大いなる背教が起こるだろう」と語られました。
また、滅びる人達に対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。(第二テサロニケ2章10節)
兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。(ヘブル3章12ー13節)
ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。(ヘブル3章7ー8節)
試みの日に、イスラエルは、彼等の祈りに対する神からの答えとなる証拠を何も見ることが出来なかったので、彼等の心を頑なにしたと聖書にあります。
私は、かつてはキリストを知り密接に歩んだものの、心を頑なにしてしまった人々に会います。
きょう、もし御声を聞くならば、心をかたくなにしてはなりません。(ヘブル3章7-8節)
それは、神が変わったとか、ご自身の憐れみを引っ込められたという事でもありません。
そのような事は起こりません。
心の頑なさは、キリストの恵み深い嘆願の影響力を超えています。
彼等は、聖霊の嘆願よりも自らを置き、福音の召命に従うつもりは全くありませんでした。
全くそのつもりはないのです。
どんな説教者が説こうと、主ご自身が肉体で下りて来られようと、聖書は、彼等の多くの者がキリストの憐れみを信じず、受け入れず、神から距離を置き続け、自ら課した頑なさを持つ人間だと述べています。
今こそ、神と正しく向き会う時です。
この世代は、神への恐れを失ってしまったからです。
主を恐れるとは、悪を憎む事です。
恵みとまことによって、咎は贖われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる。(箴言16章6節)
数年前、私はイエール大学の集まりで講演するよう招かれました。
私は、講演前に標識を持ったデモ参加者のグループが来て、私がローマ人への手紙から同性愛者について説く事を読んだと知らされました。
私は、「主よ、私が説教するのは何ですか?」と言いました。
「地獄について説教しなさい。」
「地獄、どんな感じで、誰がそこに行くかをですか?」
私は、全国でそれを説教してきました。
その家に神への恐れが襲いかかり、キャンパスに襲いかかり、少なくとも集まってくる人達に襲いかかりました。
私は呆然としました。
私は聖霊の力を見たのです。
(デモの)標識は一切持ち上げられませんでした。
彼等は説明できなかったのです。
それは、神に対する恐れでした。
そして、聖霊が死と裁きがあると言っているのです。
神の御前に立ち、弁明する日があるのです。
聖書は非常に明確に、天国と地獄があることを明示しています。
イエス様は、地獄の火と嘆きと歯ぎしり、感じる事のできる暗闇があると言っています。
これが、聖霊の呼びかけを拒否する時の危険です。
神様と正しく向き合う時です。
なぜなら、イエス様がもうすぐ来られるからです。
そしてそれが、キリストの前で傷ついた心を謙虚に保つ大きな動機になっていると感じています。
帰ってきた主人に、目を覚ましているところを見られるしもべたちは幸いです。(ルカ12章37節)
あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのですから。(ルカ12章40節)
謙虚に神の御前に来る時です。