



by Brian Doerksen
使徒10章43節
イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。
詩篇32編
1)幸いなことよ。
そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
2)幸いなことよ。
主が咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。
3)私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。
4)それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。
5)私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。
私は申しました。
「私のそむきの罪を主に告白しよう。」
すると、あなたは私のとがめを赦されました。
6)それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。
あなたにお会いできる間に。
まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。
7)あなたは私の隠れ場。
あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。
8)わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。
わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。
9)あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。
それらは、くつわや手綱の馬具で押さえなければ、あなたに近づかない。
10)悪者には心の痛みが多い。
しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。
11)正しい者たち。
主にあって、喜び、楽しめ。
すべて心の直ぐな人たちよ。
喜びの声をあげよ。