33)気をつけなさい。目をさましていなさい。その定めのときがいつだか、あなたがたには知らないからです。
34)それはちょうど旅に立つ人が、出がけに、しもべたちにはそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ(権限を与え)、門番には目をさましているように言いつけるようなものです。
35)だから、目をさましていなさい。家の主人がいつ帰ってくるか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。
36)主人が不意に帰ってきたとき眠っているのを見られないようにしなさい。
37)わたしがあなあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。
さて、ここに出て来る「目を覚ましていなさい」という部分が何を意味しているのかは、以下の聖書の御言葉がはっきり示しています。
ルカ21章36節
しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことが出来るように、いつも油断せずに祈っていなさい。
この「目を覚ましていなさい」という忠告は、いわゆる「油断せずに祈っていなさい」という言葉に尽きるような気がします。
また、同じ例えを用いているマタイ24章45節から51節には、主人の言い付け通りに従った僕と従わなかった僕についての行く末が記されています。
マタイ24章
45)主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべとは、いったいだれでしょうか。
46)主人が帰って来た時に、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。
47)まことに、あなたがたに告げます。その主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。
48)ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい』と心の中で思い、
49)その仲間を打ちたたき、酒飲みたちと飲んだりたべたりし始めていると、
50)そのしもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰ってきます。
51)そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
神様に示された御心(与えられた責任ある仕事=権限)を横道にそれることなく遂行し、裏表なく油断せずに祈り、神様に従い続けなさい。
そうすれば、終わりの時、それに見合った報いを神様から受けるようになるということを語っているのではないでしょうか。
エペソ6章18節
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
コロサイ4章2節
目を覚まして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。
