「死に至らない罪」と「死に至る罪」 | 何とかなるさ...の世界!?

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いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

ヨハネⅠ5:16

16)だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。


17)不正はみな罪ですが、死に至らない罪があります。


ここでは、罪には「死に至らない(御国に入れる)罪」「死に至る(御国に入れない)罪」の二通りがあると言っていますが、今一ピンとこないのが本音ではないでしょうか。


ここで、「死に至らない罪」についてのヒントとなる聖書の箇所を挙げてみます。


ヨハネⅠ2:1~3

1)私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。


2)この方こそ、私たちの罪のための、-私たち(キリスト者)の罪だけでなく全世界のためのーなだめの供え物なのです。


この「死に至らない罪」とは、イエス様を受け入れる前に犯していた罪のことで、だから、主をまだ知らない(罪)人が悔い改めてイエス様を救い主として受け入れられるように、私たち先に救われた者は、その人のために祈り求めなさい。そうすれば、神様がその人の心に働きかけて気付かせて下さるだろう、ということをここで語っているのではないでしょうか。


しかしながら、「死に至る罪」に関すれば、以下のそれぞれの聖書の箇所を挙げることが出来ます。


ヘブル6:4~6

4)一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊に預かる者となり、


5)神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、


6)しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。


ヘブル10:26~31

26)もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。


27)ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。


28)だれでもモーセの律法を無視する者は、二、三の承認の言葉に基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。


29)まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。


30)私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが、報いをする。」、また、「主がその民をさばかれる。」と言われる方を知っています。


31)生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。


...とあるように、「死に至る罪」は一度主イエス・キリストを救い主と受け入れ、御霊を授かったにも関わらず、神の御心に背き、自分の肉の欲望の方へと向かってしまう罪のことです。それこそ、サタンの思う壺にはまってしまったクリスチャンのことを言っているのです。


ヨハネⅠ2:3~6

もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。


4)神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。


5)しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。


6)神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。