カナンの呪いについて | 何とかなるさ...の世界!?

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いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

創世記9章18~27節

 18箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。

19この三人がノアの息子で、彼らから全世界の民は分かれ出た。

 20さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。

21ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。

22カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。23それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行って、父の裸を覆った。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。

24ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、

25言った。

 「のろわれよ。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」

26また言った。

 「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。

27神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」


この部分は、自分の裸を見られてしまったノアが、ハムの息子カナンにかけた呪いの箇所です。

ここで私が疑問に思っているのは、なぜ多くの人々はハムをノアの末の息子だと考えるのだろうか、ということです。

聖書の中には、セム、ハム、ヤペテという順番で記述されているにもかかわらずです。

確かに、24節で、「ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、言った」という箇所に、末の息子とつかわれているので、ハムがノアの末の息子になってしまっているのかもしれません。

息子のハムが父親であるノアの裸を見たからと言って、咎める必要などあるでしょうか。

まあ、それを面白がって二人の兄弟たちに告げたことについては別かもしれませんが...。

10章では、これはセム、ハム、ヤペテの歴史であるとあり、その後に、ヤペテ、ハム、セムの順番で彼らの子孫について記述がなされています。

ここでもハムは、いつも真ん中を占めています。最初でも最後でもありません。私は、彼はノアの末の息子ではなく、二番目の息子だと思えてならないのです。

それではなぜ、「末の息子が自分にしたこと」と記されているのでしょうか。106節で、「ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン」とあり、ハムの末の息子がカナンにあたるわけです。

ということは、ノアがここで「末の息子」と言っているのは、ハムのことではなくてカナンのことをさしているように思うのです。

そして、「(ハムの)末の息子(カナン)が自分にしたことを知って」とありますが、カナンがいったいノアに何をしたのでしょう。

ここであくまでも推測ですが、ハムはぶどう酒に酔って裸で寝ている父親の傍にいたカナンを見てしまったのではないでしょうか。

それで、何も知らずに酔いから覚めたノアは、傍にいた孫のカナンが自分にしたことに対して呪いを掛けたような気がします。

そう、だからこれはハムに対する呪いではなく、カナンに向けて掛けられた呪いになっているのでしょう。


さて、ここで少し、旧約聖書に出てくる裸に対する認識について、ちょっと考察してみたいと思います。

ヘブライ語では、裸について3つの異なった言い方でそれぞれ区別しています。

1)arowm(創世記225、第一サムエル1924、ヨブ記121

✻そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。創世記225

この語は、単に純粋な裸を指しています。

2)eyrom(創世記3710、申命記2848、エゼキエル187)

✻あなたは、飢えて渇き、裸となって、あらゆるものに欠乏して、主があなたに差し向ける敵に仕えることになる。主は、あなたの首に鉄のくびきを置き、ついには、あなたを根絶やしにされる。申命記2848

この語は、危害に晒されている感を伴う裸を示しています。

3)ervah(創世記922、出エジプト記2842、レビ記186)

✻カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。創世記922

 あなたがたのうち、だれも、自分の肉親の女に近づいて、これを犯してはならない。わたしは主である。レビ記186

None of you shall approach any blood relative of his to nakedness; I am the LORD.

さて、この語こそ、罪深くて恥ずべき性的な裸の意味を指しているのです。

参照)The Meaning of Nakedness , Family Sexual Secrets in Genesis


果たして、カナンが彼の祖父ノアにした行為とは...?

その一つの手がかりとして、性的に乱れに乱れたカナン人の領土であったソドムとゴモラ が、神の手によって滅ぼされてしまったことが挙げられます。

それから、神はエジプトから脱出したイスラエルの民に向かってはっきりとモーセを通して告げています。

レビ記18

1ついで主はモーセに告げて仰せられた。

2「イスラエルの人々に告げて言え。わたしはあなたがたの神、主である。

3あなたがたは、あなたが住んでいたエジプトの地のならわしをまねてはならない。またわたしがあなたがたを導き入れようとしているカナンの地のならわしをまねてもいけない。彼らの風習に従って歩んではならない。

4あなががたは、わたしの定めを行い、わたしのおきてを守り、それに従わなければならない。わたしは、あなたがたの神、主である。

これ以降のレビ記18章全体を読んでみると、本当に神様は性的な罪を心底嫌っているのが分かります。


今、世界がこの神様の忌み嫌うべき性的汚れに汚染されてしまっています。

もうすぐ、大艱難時代の扉が開かれようとしています。今この時、自分の罪を悔い改め、イエス様を通して本当の神に立ち返らなければならない時に来ています。

本当のキリスト者になるべきか、偽りのクリスチャンになるか、あるいは神様の御言葉をないがしろにして、自分の肉(悪魔から来ている)の思いに従うかは、私達それぞれの自由です。

全ては、艱難時代の終わりに明かされるのですから...。