いざ、イギリスへ! | 何とかなるさ...の世界!?

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いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

ヨシヨシの誕生から1ヶ月余りを共に過ごした主人は、イギリスに向けて出発しました。


日本を飛び発つ前日、私は主人を見送りがてら一緒にイギリス大使館に、ヨシヨシの出生届とパスポートの取得に必要な書類を取りに行きました。


その間ヨシヨシは、母に見てもらうことにして...。


その後、東京駅周辺のブリティッシュ系のパブに入り、主人とこれからのことについて、一応綿密に話し合った記憶があります。


それから、成田エキスプレスのプラットフォームで主人は、仕事と住まいを見つけたら、必ず私達を迎えに来ると約束し、空港へと向かう電車に乗って行ってしまいました。


一時的な別れではありましたが、私の目からは、思わず水っぽいもの涙が流れていたのでした。



それから3ヵ月が経ち、地元で仕事を見つけた主人は、約束通り私とヨシヨシを迎えに来てくれたのです


がしかし、住まいは公営住宅を希望していたので、家族がちゃんと地元にいないことには、町の方で家を紹介できないと言われたらしく、私達は家が見つからないまま、イギリスに行かなくてはならなくなりました。


私とヨシヨシは、主人と成田空港で落ち合い、それから空港周辺のホテルで一泊し、その翌日、イギリスに飛ぶというスケジュールを組んでいました。


主人にしてみたら、とんぼ返りの結構きついスケジュールだったことでしょう。aya


さて、イギリスから飛んできた主人は疲労していたものの、3ヶ月ぶりにヨシヨシと会えた喜びでそんな疲れもどこ吹く風、何度も何度もベビちゃんヨシヨシを抱き抱えていました。


当のヨシヨシはというと、初め主人に抱っこされた時、「この人誰?誰?」みたいな微妙な表情で抱かれていましたが、時間が経つにつれて、だんだん主人に慣れて行くのが手に取るように分かりました。ヨカッタ


またこの時、大学時代サークルで一緒だった友人2人が、私達を見送りがてら一緒のホテルに泊まってくれていたので、その晩は、久々に気分は学生時代に戻り、皆で楽しい時間を過ごすことが出来たのも忘れられない思い出です。



こうしてその翌日、主人とヨシヨシそして私の3人は、2人の友人に見送られながら、成田空港からイギリスへと飛び発ったのです。



ヨシヨシにとってはこれが初の、そしてまた離乳食(機内食)を初めて口にしたフライトsao☆となった訳です。


もちろん彼は、何も覚えていませんが...。