2025年本屋大賞受賞作品!不妊治療、同性愛、家庭内の抑圧、セルフネグレクト…語られづらく、理解されにくい現代的な問題を優しい手つきで描いた『カフネ』は、“撫でる”という行為を通して、痛みにそっと寄り添う静かな物語である。年齢や性別を超えて、「誰かを想うこと」の本質を教えてくれるこの一冊は、 全ての愛を欲する人にこそ手渡されるべき物語だと思う。謎を追う物語でありながら、それ以上に心の奥に触れる物語として、深い余韻を残すヒューマンドラマ。
カフネ
著者:阿部暁子
発表年:2024年
ジャンル:現代小説/ヒューマンドラマ/料理/食!
『カフネ』のあらすじ/概要
41歳の野宮薫子は、法務局に勤める真面目な女性。不妊治療を経て離婚し、心にぽっかりと穴が空いた日々を送っていた。そんなある日、彼女の最愛の弟・春彦が突然命を絶ってしまう。春彦の死を受け止めきれない薫子の前に現れたのは、春彦の「恋人」だったという若い女性、小野寺せつな。彼女は家事代行サービス「カフネ」で働き、依頼主の心と暮らしをそっと撫でるように支えているという。
春彦の死の謎、せつなの秘密、そして薫子自身の痛みや過去。それぞれが抱える事情が、料理を通した交流をきっかけに少しずつ明かされていく。違う世代、違う立場のふたりが出会い、やがて再生していく優しい物語。
『カフネ』感想/レビュー/解説/考察(ネタバレ含む)
優しく、でも確かに触れていく……『カフネ』という小説
『カフネ』は、不妊治療、同性愛、家庭内の抑圧的な愛情、セルフネグレクトといった、現代社会に於いて語られづらく、しかし確実に存在している痛みや苦しみを、現実の厳しさや辛さを交えながら静かに、そして丁寧に愛撫するように描いた作品である。
タイトルの『カフネ(cafuné)』が意味する“髪を優しく撫でる仕草”は、単なる比喩ではない。この物語の語り口そのものであり、また登場人物たちが互いの心に触れ合う方法でもある。
どの問題もセンシティブで、簡単には言葉にし難い。
それでもこの小説は、声高に訴えるのではなく、登場人物の目線を通して、そっと私たちの手にその痛みを預けてくる。
女性という視点から、そしてその先へ
主人公の薫子は41歳、不妊を経験し、離婚を経て一人で生きている。
せつなは29歳、春彦の恋人でありながら、どこか影を纏っている。
彼女たちが互いの心に触れていくプロセスは、料理や会話、ちょっとした沈黙の中で少しずつ進んでいく。
この物語は、強くあろうとする女性や、社会的にか弱いとされる女性に向けた、一種のエールでもあるだろう。著者自身が女性であることも影響してか、フェミニズム的な視点も滲むように思う。但し、それは決して押しつけでも男性批判でもなく、寧ろ性別を越えた共感と理解を希求するような、柔らかな思想である。
実際に読んでいて感じたのは、この物語は女性の為の物語であると同時に、「愛を欲し、誰かを想い、そして傷ついた全ての人」に向けられた物語だということ。
先が読めても、読ませる力がある
物語にはミステリー的な要素もある。
春彦の死の真相、せつなの過去、嘘と真実……。
それらは少しずつ明らかになっていくのだが、正直、展開自体はそこまで驚きではない。
それでもページをめくる手が止まらないのは、言葉の運び方が優しく、そして確かだからだと思う。
センシティブな問題を扱いながらも、文章は小難しくなく、かと言って稚拙でもなく、時に冷厳でありながらもどこかに人肌の温もりのようなものがある。
登場人物たちの背景もきちんと描かれていて、読者が共感し、寄り添えるように設計されている。そして綺麗事ばかりが描かれているわけはなく、心が切なく苦しい時もある。現実とは無理解や不寛容、エゴが蔓延り、厳しいものであると同時に、時に抑圧的であるが故に。
髪を撫でるように、人を想う。Caress of Venus…
L'Arc〜en〜Ciel - Caress of Venus(意訳:女神の優しい愛撫)
物語の終盤、薫子とせつなが互いの髪にそっと指を通すシーンがある。
それはまさに『カフネ』の意味を象徴している。
言葉では埋めきれない痛みを、言葉にならない優しさで埋めていく……。
その瞬間、私は確かに胸が熱くなった。(というか結構な頻度で涙腺が優しく壊されていたのだけれど。)
彼女たちは、きっとまだ完全には癒えていない。
でも、再生の始まりを受け入れられるだけの何かを、
互いに差し出せたのだと思う。
最後に。この小説を読んだ“私”という存在
この物語のすべての登場人物たちが、良くも悪くもパズルのピースのように配置され、最後に浮かび上がってくるのは、読み終えた“私自身の姿”だった。(良くも悪くも)
男か女か、年齢がどうか、立場がどうか、そんなものを超えて、「痛みや苦しみ、孤独を知り、それでも人を想うこと、愛することを諦められない存在」としての私。
この小説がくれたのは、そんな“私というピース”の静かな発見だった。
共感、シンパシー、そしてエンパシー。
それらを思い出させてくれる、否、改めて思い知らされる静かで温かい物語。これで、今のままでいいんだと……
是非、そっと手に取って読んでみてほしい。
総評
センシティブなテーマを扱いながらも、読者に優しく寄り添うような文章と登場人物の関係性が心に残る一作。
『カフネ(愛撫)』という言葉が、読後にはきっと、
心を撫でてくれる物語の代名詞のように感じられるはずである。
春彦の死の真相に迫るミステリー要素よりも、そこから見えてくる人間の再生と愛のかたちが、本作の最大の魅力であろうと思う。
- 痛み、苦しみへの眼差しの深さ:★★★★★
- 撫でるという優しさの描写:★★★★★
- キャラクターの繊細な描写:★★★★☆
- 料理と記憶の交差的描き方:★★★★☆
- 総合評価:★★★★☆(4.5/5)