神崎和幸

             デシート


   プロローグ


 彼女はいつでも愛想が良かった。明るい表情と元気な声で料金を告げてくる。彼は彼女がいるからこのコンビニまでわざわざやって来るのだ。彼女は何歳ぐらいだろうと思ったことがある。おそらく二十歳前後だろう。
 長いリバースカールに、明るい感じの赤みがかったブラウンのハイライトを入れている。今日はアップにしている。そのせいで左の耳に一箇所傷跡があるのを初めて知った。顔も小さく、目が印象的だった。無邪気さと大人の雰囲気が混ざり合っていて、魅力的すぎるように感じられた。
 そのうえ唇も色っぽかった。かわいらしいという言葉と、綺麗だという言葉を同時に当てはめることのできる女。
 スタイルも細すぎはしないが、決して肉付きのいいというわけでもない。制服の半袖から出ている腕を見て、何となくそう思った。身長は百六十センチ前後のようだ。
 彼女と目が合うと、心臓の鼓動が速くなるのをいつも意識する。その目は彼の心を一瞬で虜にする力を備えていた。
 

 一目で君に惹かれたんだ、と彼女に言ったらどんな顔をするだろうと考えた。おそらく白い眼で見られるんじゃないだろうか。気障な男が気に入った女を口説く時に使う決めゼリフのようにしか聞こえないだろう。無論、彼にそんなことを言うつもりはなかったが。
 彼はいつ声をかけたらいいのか、判断がつかなかった。どんなふうに言えばいいのか、その言葉すらまだ決めかねていた。だが、近い将来、電話番号を聞いてみようと思っていた。
 そんな矢先だった。
 彼女はバイトを辞めてしまった。彼がもうそのコンビニで彼女を見ることはなかった。


    1
 
 紀崎誠一は両手を黒いズボンのポケットに突っ込んだまま夜の裏路地を歩いていた。そこは東京都足立区の本木だった。その通りは両側に二階建てや三階建ての家が並んでいる場所にあった。古そうな家屋もあれば、新築でおしゃれな感じを醸し出す住まいもある。時おり猫の鳴く声が聞こえてくる。
 その日は六月の初めだったが、風もいくぶん強いので涼しかった。雲が多いため、月の光は地上に届いていない。
 もう少し歩けば小竹橋通りに出る。彼は自分の住むマンションへと帰る途中だった。
 

 辺りに人は一人しかいなかった。誠一の十メートル前方を一人の女性が歩いていた。後ろ姿を見ただけでも誰だか想像がつく。
 彼はその名字だけは知っていた。あかいとい文字をネームプレートで見たことがあったからだ。おそらく彼女に間違いないだろう。彼はそう直感した。
 女性が立ち止まったので、誠一も歩くのをやめた。路地を出た先には一台の白いベンツのSクラスが駐まっていた。マンションのちょうど裏手に当たる場所だった。その白い建物は黒いフェンスで囲まれている。マンションとフェンスの間には常緑樹が植えられていた。
 車内では一人の男が必死で女の首を絞めているのが見えた。車内灯はついていなかったが、近くにある街灯によって、男の狂気じみた表情とその手がはっきりとわかった。赤井という女性は立ち止まったのではなく、立ちすくんでいたのだ。


(続)



















      

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