今年はザ・クレーター16周年Yearです。
16年と言えば、オリンピックやサッカーワールドカップが4回分。
結構なボリュームの年月です。
ザ・クレーターが歩んだその16年を、振り返ってみたいと思います。
2002年、日韓W杯のあった年の 2月21日(木)、
前年に、共通の友人(farida's cafe のギタリスト、アンドレ君)の紹介で出会い、
すでにレコーディングや制作活動を開始していた下瀬と菊永が、
「ザ・クレーター」として初めて下北沢garageでライブをしました。
この頃ザ・クレーターが演奏していた曲は、
この年の1月にリリースしていたアルバム「BLIND SCENES」(廃盤)に収録されていた曲が中心でした。
今でもライブで演奏することもあるその頃の代表的な曲は「悲しい歌」です。
ストリングスのバックトラックを取り込んだ携帯電話で再生しながら同期して演奏するという、
今考えると実験的なこともしていました。
試行錯誤しながら、LIVEや制作をしている時期でした。
メンバーはベースの憲太君と、下瀬、菊永の3ピース。
探したんですが、その頃の写真が見つからない。(汗)
ベースの憲太君は、その後「転校生」というバンドに入って、
確か新宿のREDCLOTHで対バンしたこともあったけど
元気にしてるかなー。。。
と調べていたら、いました憲太君!
WideShowPersonalitiesというバンドでベースを弾いているようです。
なんと、wearerのYKがCDのレビューを書いている!(驚)
繋がって来ましたね。(笑)
元気かなー。久しぶりに会いたいなー。
憲太くんはベーシストでありながらギター弾くのが好き、という、
OKDに少し似たところもあって、とても気のいい男だったなー。
そんな憲太君がベースを弾き、しばらくはスリーピースで活動してましたが、
翌2003年にはギタリストとして、神崎 聡(そう)が加入しました。
あれは確か、渋谷サイクロンだった。
知人のバンドを観に来ていた神崎が、ライブ後に、ザ・クレーターのギターを弾かせて欲しい、と熱く声をかけてくれたっけ。
あの時はとても嬉しかったので今でも鮮明にその時のことを覚えています。
その後神崎の加入したザ・クレーターは、「4D」や「漣」「僕とロック」などの曲を作り、
アンドレ君に手伝ってもらい、レコーディングもしました。
2003年、六本木ヒルズがオープンした年のことでした。
と、長くなりそうなので、今日はこのへんで!
続きはまた次回書きたいと思います。