あんしんラジオ | quarters

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いろんなライブの記録。二丁目の魁カミングアウト・きのホ。・ONIGAWARA・ RAG FAIR・ズボンドズボンなど。

次回の「土屋礼央のオールナイトニッポン」は○月×日△曜日、深夜1時から放送です。
お楽しみに!






2005年6月28日、最後の放送が終わった後の公式サイトに掲載された次回予告。


ナイナイさんや西川さんを抜いて、ずっとHPアクセスランキング1位だったのがリスナーとしてちょっと自慢。
aikoさんに「ニッポン放送の申し子」と言われ、ヒダカさんに「一世を風靡した若き天才パーソナリティー」と言わしめた火曜日のお耳の恋人さま。



もう3年も経つんだね。
放送してた3年3ヶ月と、同じくらいの時間が過ぎる。



一週間で一番好きな時間だった。火曜日の1時3時。
リスナーもスタッフもみんな礼央ちゃん大好きなんだって聴いてて解った。
「礼央さん」でも「礼央」でもなくて「礼央ちゃん」、ね。



レコ中でも、ツアー中でも、熱出しても、食中毒でも、生放送で喋り続けてくれた。
「今週もお互い頑張ろうな」の約束があったから、一週間生き永らえてたようなもの

聴き始めてから一回だって逃したことない。ニッポン放送は15分そこらで切られた最初のD-1の回だって大阪の電波捕まえて聴いたともさ。





2004年2月10日の放送で「空がきれい」流したんだよ。病気の恋人が、ってメールだった気がする。流石にもうあやふやなんだけど。
日本海での話をしてくれたのもオールナイトだったし、ピアノで弾き語りもしてくれた。


この曲を聴くと思い出す。
ラジオのノイズに紛れた声や、たくさんの大事な言葉、ひとひらずつ。


あ、でも宇宙初オンエア特権で、サマスマまでの曲はだいたいオールナイトの記憶と一緒。




昔話のジングルを聴くとすっごい「ああーもう?」って気持ちになる。
礼央ちゃんは滅多に「おやすみ」って言わないパーソナリティーで。

だから2004年3月30日は特別。
オールナイト聴いて泣いたのはこの日と、番組終了告知した2005年5月31日と、6月28日の3回だけ。


ずっと笑ってたなー。まだ覚えてるネタいっぱいある。
「おひょい、くるのおひょい。」と「かーんち、アルビレックスしよっ!」は永遠の鉄板です。




電車乗ったら2時間かかるの、有楽町まで。
でもラジオだったら瞬間、同じ時間を共有できてた。

やっぱりれおかるとはそこが違うのだよなーなんて苦笑いしつつ。




合言葉は「土屋礼央サイコー!」、でしょ?
早くプラモ作って帰っておいで。

何年だってラジオの前で待っててあげるから。



私にとっての土屋礼央のオールナイトニッポンはライナスの毛布でした。
ゆっくり眠るための、あんしん毛布。

っても、聴くと4時間くらいしか寝れないんだけどね(苦笑)





「歩き続けて、晴れているところまで行こう。」


2004年の今日、6月29日の健ちゃんラグ化。

どんな天気も味方につけて、また「任せなさい」って言ってよ。
歌い続けて、いつか晴れるよ。



またニッポン放送に来れるように一生懸命音楽やるって、そう言ったの礼央ちゃんだから。
まさか忘れたとは言わせない。



だから、ね

「有楽町で逢いましょう」

あと十数時間後に、きっと。