1991年3月にロサンゼルス地域のフリーウェイを夜中に運転していた、当時25歳のRodney King(ロドニー・キング)はスピード違反で警察に止められた。
キングはそのまま逃走しようとしたが、逃げ切れずに停車。車から出てきたキングが警察に抵抗することはなかったが、数人の警官からひどい暴行を受け、瀕死の状態で病院に運ばれた。
たまたま近所の住民がその様子をビデオカメラで撮影していたことで、暴行を加えた警察官が起訴された。
しかし翌年の裁判で4人全ての警察官にまさかの無罪判決。これが1992年のLA Riots(ロス暴動)につながった。
暴動は最終的に軍隊によって抑えられ、1週間ほどで終了。たくさんの家や店が破壊され、残されたのはボロボロになったロサンゼルスの町と人々の心。
ロス暴動から28年。その間に数え切れないほどの黒人が白人警察官に暴行を受け、殺された。
その度に市民は怒り、平等を訴え、正義を求めてデモを起こす。
同時に、「またか。。。」と落胆し、失望する。
悲劇が起こる度にデモをして、何度も何度もその繰り返し。
ジョージ・フロイド事件の数週間前、Ahmaud Arberyという黒人男性がジョージア州で白人親子に射殺されたという事件がニュースになった。
2月に起きたこの事件は、正当防衛として調査が進められていたが、数ヶ月後に事件当時の動画が流出し、それが正当防衛ではなく、殺人事件だという動かぬ証拠となった。
ジョギング中だった25歳のArberyに突然二人が襲いかかり、撃ち殺したのだ。
人々は怒り、そして「またか。。。」と落胆した。
そんな中、フロイド事件は起きた。
手錠をかけられた状態で複数の警察官によって
地面に押さえつけられ、膝で首を踏みつけられる。数分経っても、5分経っても、
「助けてくれ」と何度訴えても、強く押さえつけられたまま。
通りがかりの数人が、携帯でその様子を撮影しながら、「何をしているんだ!やめろ!死んでしまう!」と叫んでも、警察官達は完全に無視。
そのままフロイドはガクッと死んでしまった。
フロイドが動かなくなってもまだ、警察官は片手をポケットに突っ込んだまま膝で首を踏みつけている。
人々は怒り狂った。
そして今回は、「またか。。。」と落胆したまま終わらなかった。
人々の怒りが、我慢が、限界に達した。
ミネアポリスで始まったフロイドのデモはすぐに全米に広がった。シカゴ、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンDC、アトランタ、フロリダ、ロサンゼルス、シアトル、サンフランシスコ、あらゆる都市にデモが広がり、同時に暴動も始まった。
平和的デモ・市民運動と、暴動や強盗、放火を起こすRiotters/Looters、暴動を抑えようと動く警察、デモの手助けをする警察、デモ隊に暴力を振るう警察、警察に暴力で立ち向かうデモ隊、
それら全てを権力で抑えようとする大統領。権力に負けるかと市民運動をサポートする地域のリーダー達。
今この国で、あらゆるエネルギーが衝突している。
「またか。。。」と終わらせる訳にはいかない。
暴力に負ける訳にも、権力に負ける訳にもいかない。
制度を変えなくてはいけない、社会のシステムを変えるまでは諦めることができないという人々の怒りと悲しみが、ものすごく大きなエネルギーとなっている。
根気強く、戦略的に人種差別と戦わなくてはいけない。黒人コミュニティのみが黒人の権利を訴えていても、何も変わらないまま権力に負けてしまう。
あらゆる人種とあらゆる都市が一つになって、戦わなくてはいけないのだと、人々はやっと気づいた。
今なら何かが変わるかもしれない。
何かが変わるまで、終わらせてはいけない。
そう、強く信じることができる。
6/2をBlackout Tuesday(ブラックアウトの火曜日)にしようと、音楽業界が提案した。その思いは一晩で数千万人に届いた。
企業も個人も、ソーシャルメディアを真っ黒の画面で埋め尽くす。
これが私たちの意思表示。
愛する人のために。子供達の未来のために。
これは黒人と白人の戦いでもなければ、
黒人と他の人種の戦いでもない。
全ての人間と人種差別との戦い。