無とはなんぞや | eビジネスランド 知識創造通信

無とはなんぞや


 禅道場へ行って、お師家さんに指導を受けることを「参禅入門」という。


 廊下に弟子たちが座って順番を待っている、老師の部屋からチリチリーンと鈴の音がしたら目の前の鐘をボオーンと撞いて、老師の部屋を目指す。


 その時、どたどたと落ち着かない歩き方をすると、チリチリーンと老師の鈴が鳴る。「帰れ!頭を冷やしてから来い」というのである。長い間待っていたのにあわれもう一度出直しである。


 やっと入室を許されて老師の前に座り、五体投地の礼拝をする。


 そこで老師から「無とはなんぞや」という公案を出される。


 無に対するお前の見解(けんげ)を言え、というのである。


 急にそんなことを言われたって・・「えーと、えーと、無とは、なあーんにもないということで、えーと、つまり空ということです。」チリチリーンなっちょらん、帰れっ!・・鈴の音が鳴ると退散しなければならない。


 実は、禅の公案に対する答えは通常の知識や解釈では説明がつかない。


 例えば、武帝の問いに対して達磨は「廓然無聖(なあーんにもない)」と答えたし、「如何なるか 是れ仏」ほとけさんとはなんだい?という問いかけに対して「乾屎けつ!」(棒状の乾いた糞)と答えた名僧もいた。


 この世界のことは、通常の理解でいくら説明しても答えにはならない。


 私は四十代の頃、死病に取り憑かれて入院した病室の中で、毎晩消灯時から明け方まで座禅三昧を続けていた。ある日の明け方近く、ふと自分の体が溶けて目の前の景色の中に貼り付いてしまった。なんともいえず荘厳な感じだった。思えば、これが「無」の入り口だった。


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