いつも幸せでいる法
いつも幸せでいる法は・・・
嫌な奴とは、口をきかない、つき合わない。
嫌なことは、しない。
好きな人とだけ、交わり、
好きなことだけ、やる・・・。
こうすれば、いつも幸せでいられる、と言われて、それはそうだと思うのだけれど、現実問題として世の中は、どこへいっても嫌な奴がいっぱいだし、嫌なことだらけである。だから人は誰でも、自分はいつも不幸のどん底で、この世ではどんなことをしても幸せにはなれない「俺は河原の枯れススキ」と絶望状態で生きている人が多い。・・・でも、よく考えて見ると・・・
人は、一人では生きられない、大勢の人の中でしか生きていけない。
自分一人では一粒の米も作れない。一本の糸も紡げない。
他人様の作った米を食べ、他人様の紡いだ衣服を着て生きている。
人はだれでも、大勢の人の力に支えられ、生かされているのである。
朝、太陽は東に昇り、夕べ西に沈む。照る日もあれば曇る日もある。雨も降れば風も吹く。薔薇の花が咲いている傍らに、野菊も咲いている。
春夏秋冬四季の移り変わりの天地自然界の有様には、好き嫌い・選り好みなど差別の念(おもい)など、どこにも無い。
・・・これが天地自然の法則であり、人がこの法則に逆らうと・・・
誰でも、生きていくのが辛くなり、あれこれ心配して病気になってしまう。
・・・人が、天地自然の法則に順応していくと・・・
なにも心配が無くなって、いつも元気で幸せに生きていくことができる。
そのためには、自分の体にとりついている「好きだ嫌いだ」の自我中心の雑念妄想を、深い息とともに吐きだして吐きだして、すっかりきれいに空っぽにしてしまうことである。これを座禅などで「無念無想になる」という。
この辺の心境を至道無難禅師は「生きながら 死人(しびと)となりて なり果てて こころのままになす業(わざ)の良き」と詠んだ。
無念無想で「あるがまんま」ゆったりと天地自然の法則と一体化して生きていく。・・・これ以外に「いつも幸せでいる法」の本物は無い。
無念無想になることは、難しいとか優しいとかの次元では説明できない。
自分自身を「絶体絶命の境地」へ追い込んで、不退転の決意で求めれば、必ず手に入るものである。
中途半端なところで、浮いたり沈んだりして生きている内は、決して手に入るものではない。
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