生徒さん凄く学んでくださり
それを書き込んでくれたものを少し紹介します照れラブラブ




先生♡
三升先代萩の巡業先に仙台が入っていること深い示唆を感じていました。過日の先生の問いかけから先代萩と鞘当を自習したなか以下のことがわかりました。

万治から寛文にかけて仙台伊達藩で起こったお家騒動(伊達騒動とも寛文騒動とも)をもとに歌舞伎・浄瑠璃・実録など数々の作品を参照に1777年大阪中の芝居で初世奈加亀助作の伽羅先代萩が生まれ、

1785年江戸結城座で上演された浄瑠璃「伽羅先代萩」はほぼこの歌舞伎の筋に、1778年江戸中村座初演桜田治助作「伊達競阿国戯場」の豆腐屋の場を加え上演。五代目團十郎は荒獅子男之助と細川勝元を演じた大当り!その後の退座事件のことは「戯場談話」「秀鶴日記」に。(金澤康隆 市川團十郎より)

以後歌舞伎の伽羅先代萩も伽羅先代萩と伊達競阿国戯場の見せ場を組み合わせて上演されるようになり、役名は伊達競阿国戯場のものが取り入れられた。

現行の花水橋(伊達競阿国戯場)、竹の間(浄瑠璃)、奥御殿(浄瑠璃)、床下(浄瑠璃)、問注所対決(伊達競)、詰所刃傷(伊達競)の形になったのは、明治15年(1882)東京市村座にて上演された「着三升伊達裲襠(きてみますだてのうちかけ)」からだそうで、九代目團十郎さんが頼兼♡政岡♡弾正♡の主要三役をなさったそうです👏👏👏🙌🙌🙌\( ˆoˆ )/


今日先生が貴重なお話をしてくださった「慙紅葉汗顔見世」は、文化12年1815年7月江戸河原崎座で七代目團十郎が十役を早替わりで初演!この頃すでに人気実力ともに兼ね備えた千両役者!早替わりを得意とした七代目は1819年にも忠臣蔵も七役早替わりも上演!

文政6年(1823)3月市村座では、「浮世柄比翼稲妻」で不破を務め今日の鞘当の演出を残す。10月八代目が誕生。文政8年7月に今月歌舞伎座で仁左衛門さん玉三郎さんが37年ぶりに上演され話題となっている「東海道四谷怪談」の初演の伊右衛門も七代目!♡ いまは亡き十八代目勘三郎さんはニューヨークの平成中村屋座で海老蔵先生の伊右衛門で四谷怪談をなさりたかったそう、、、。😢

1979年、165年ぶりに三代目猿之助さんが復活させた「慙紅葉汗顔見世」は題名と役名は同じでもほぼ新作だったようですよね?

三升先代萩の筋書で政岡の演技の基礎は九代目團十郎さんが作りあげたと知りびっくり!しました。着三升伊達裲襠のときですね♡ !そこから五代目歌右衛門さんに継承されたのかな。今回先生の政岡が歌右衛門さんの政岡をご存知の方が歌右衛門さんみたいだったと仰ってました、、、。鞘当、助六も入れ込んだ、先生の思いがこもった三升がついた先代萩は、七代目團十郎さんを初めとする代々の團十郎さんがさぞやお喜びだと思います♡

三代目猿之助さんのスーパー歌舞伎の原点とされる江戸歌舞伎の名優でケレン早替わりの四代目市川小團次も八代目、七代目團十郎の引き立てなしには生まれなかった。河竹新七(黙阿弥)しかり。義経千本櫻のけれんは四代目市川小團次さんがなさったものを復活されました。

歌舞伎の歴史は團十郎家の歴史。繋がりを知ればしるほど、数ある歌舞伎のおうちから海老蔵先生の成田屋、團十郎家に心酔した自分を褒めてあげたい。そして先生のそばで伝統ある江戸歌舞伎の今を体感できることに感謝するばかりです♡

添付の浮世絵は  #着三升伊達裲襠

#三升先代萩
#七代目團十郎




このように
すごい生徒さんの文面により
他の生徒さんもたくさん学べる環境が
出来てきました。

オンラインカルチャースクールZENも
もう少しで一年となります。

一年イベント考えないとですね。




日本の文化
一緒に学びましょう、
感じましょう。