長らくご無沙汰をしております。
東北の地震のあと、何を書いたらよいのかわからなくなり、
ただ変わらぬ穏やかな日々を過ごしていました。
ところが9月4日の台風12号で生活は一変しました。
300年以上続いた私の住むお寺が一瞬で土砂とともに流されてしまったのです。
今日はその2011年9月4日の土砂崩れのときのことを書きたいと思います。
最初に私の家族構成とお寺の全体の配置を説明します。
私たち寺族のものは住職と坊守(住職の妻)そして今この記事を書いている私(寺で生まれ育った住職の長女)とその主人、そして娘2人の6人家族です。
山寺は東に長い坂道があり、その坂道を自動車で出入りします、そして反対の西側には大きな長い石の階段があります。東の坂道の中腹に大きな駐車場があります。その駐車場から西側の階段へとつながり、その階段を上ると境内へ出ます。階段を上るとすぐ左手に鐘楼、右には手洗い場、正面に本堂があります。その本堂の東側に古い庫裏、その東に新しい庫裏(メインの居住スペース)、その東が車庫と私たち若い家族が住む居住スペースです。
土砂崩れがあったのは9月3日深夜でした。正確には9月4日(土)の午前1時過ぎから1時30分の間です。
その日は私も娘達を寝かしつけてから起きていました。
というのも雨が尋常じゃないのと、山からの水がすごい勢いで流れてきていたので、避難命令とか出ていないかとネットで調べたりしていたのです。
1時過ぎごろ雷のような音が雨音に混じって聞こえてきました。
最初は雷かと思いましたがすぐにこれは何か違うと感じ、父と母に「なんか雷みたいな音がするけどちがう!やばい!逃げなきゃ危ないよ!」と言いました。
母もやはり心配でカーテンを開けて外の様子を見たりして起きていました。
父は「雷じゃないか」とそれでものんきでしたが、私や母の様子で起きてきて外を見て「これはやっぱりおかしい」と思い、私の主人と一緒に本堂を見に行きました。
その帰り、すでに本堂と居住スペースの間の座敷のある古い庫裏が流れ出していたのです。
二人は流れ出した庫裏の間をあわてて駆け戻り、
外につないでいた愛犬ショコラを家に入れるとその直後、そのつながれていた柱は土石流とともに流されていったそうです。
当然メインにしていた台所と応接室は西の壁が土石流でやられて大量の土砂がなだれ込みました。
それと同時に家は停電しました。
「庫裏が流された、台所も土砂がきた!」という父の声に私はパニック、娘二人をかかえ、「どこに逃げたらいいの~!!!」と叫びました。
父は「そこがいちばん安全や!」と言いましたが、家が流されるほどの土石流がいつここにやって来るかもしれません。
真っ暗な中、母は必死に119番をしますが「とにかく安全なところに避難してください」といわれるだけ。
もう絶望的でした。
せめて流されるときは子ども達と一緒に離れないようにとそれだけを思っていました。
長女(4歳)にはリュックを背負わせ、その中に飲み物とおかしを入れました。
もしも何かの奇跡でこの子だけ生き残ったらと思ったのです。下の子(2歳)はたぶん1人では無理だろうからせめて私が離さないでおこうと思いました。
子ども達を怖がらせないように懐中電灯を子ども達の座るソファに向かって照らし、「大丈夫やで、大丈夫やで」となんども言いました。それはもちろん自分に言っているようなものでした。
2時過ぎ頃、また雨音に混じって地鳴りのような音と激しい水の流れる音がしました、確実に何かが来る!と感じました。「こわいよこわいよ」このときばかりは私も恐怖で子ども達を抱えながらそうつぶやいていました。
そしてその後、主人が「本堂が流れた」と言いました。
「まさか」とみんな信じられない気持ちでしたが、外が真っ暗で確かめようもありません。
地鳴りがしなくなり、雨音だけになると私はベランダやトイレの窓からなんとか外の様子が見えないかと懐中電灯で照らして見ますが、とにかく見える範囲はすべて泥の川。東の水路は濁流でアスファルトがめくれ上がり、もはや車での脱出も不可能なことがわかりました。
午前4時を過ぎても雨は容赦なく降り続きます。
私たちは夜が明けるのを祈りながら待ちました。
子ども達は眠気に勝てず、布団で眠りに着いた午前5時25分頃、
地域の消防団長が助けに来て下さいました。
とにかく荷物をまとめ、子どもをだっこして泥の川となった坂道を下り、
消防と警察に連れられて公民館まで避難しました。
坂道を下りながら、お寺を振り返ると大きな本堂の屋根が流されて傾いていました。
あまりの光景に涙が止まりませんでした。
確か公民館に着いたときは午前7時ごろだったと思います。
このとき家に置いてきた愛犬ショコラ(もちろん助けにいくつもりでした)はどうやってあの泥の川や流木、大きな石をこえて来たのかわかりませんが、家から自力で脱出し、近くの乗馬クラブのあたりをうろうろしていたところをそこの方に助けて頂いて、無事に引き取りにいきました。
その後一週間ほど公民館で避難生活をさせて頂き、今は同じ地区の空き家に仮住まいさせて頂いているのです。
今でも強い雨が降ると不安です。
子ども達も「また家が流されるの?」と聞きます。
私たちが生きていることは奇跡としか言いようがありません。
家族が1人も欠けることなく無事だったこと、それが今は何よりだったのだとそう思います。
それでもたくさんの思い出の詰まったお寺がすべて無くなってしまったのだと思うと何とも言えない気持ちです。
今でもしっかりと目に焼き付いているあの場所のあの掛け軸やあの花器、いつも掃除していた本堂の縁、そこから見る境内の景色、そんなものがふと今でもそこに行けばあるような錯覚にとらわれます。
だけど後ろばかり振り返ってはいられません。
しっかりと前を見て復興して行こうと思っています。
実際、たくさんの方に助けて頂いて何とか現在に至っています。
今回のことでいかに私たちが多くの方に支えられているのかということ、あらためて実感いたしました。
そして今でも毎週のように手伝いに来てくれる友達、忙しい時間を見つけて泥出しに来てくれる友達、宗派のお寺の方々。いつも私たち家族のことを気にかけてくださる方々。
本当に本当に感謝しています。
今回この記事を書くのは勇気が必要でした。
それはいままでの匿名性というメリットが無くなると思ったからです。
それでもやはり私はここで私の日々を少しずつでも記録していきたいと思いました。
そのためにはこのことを書かなくては先に進めません。
これからの日々は復興とともにあるからです。
これが私の日々だからです。
そして被災者だからといって平穏な日々をあきらめたわけではありません。
子供たちは成長していくし、毎日たわいもないことに笑ったり泣いたり怒ったりしてます。
そんな日々も記していきたいのです。
だからどうか今まで通りおつきあいいただけたらと思います。
どうかよろしくお願いします。
双方から流れてきた土砂が最終的にひとつになり、
墓園、書院、本堂を流していった。
流された本堂。前にあるのは土砂とがれき。