久しぶりに県西 公園に行った。 桜が 風に舞っていた。桜の花吹雪の下を歩いていると、強い風が吹いて来て、桜の木々を揺らした。その時、ふと頭に言葉が浮かんだ。
風の歌を聴け、と。私は風の方角を向いた。風が私に何か語りかけている気がした。村上氏の処女作の題名である。しばらく歩いた。風の声を聞こうと。耳を澄まして。風は私の耳にその風音を残すだけ。
私は花びらが積もり溜まったベンチの前で、立ち止まり、腰を落とした。スマホを出して、FBを開いた。そこには、友達からの私のコメントへのお返しが来ていた。その文が私を笑わせた。彼は、私のコメントに対して、面白いやつと言っていた。
彼は外国人だが、英語でのやり取りが、ちょうど良いクッションになる。日本語では遊びがないから、角がたちやすい。風は、ここから吹いて来た。外国から言葉の風が吹いて来る時代に、私は感謝した。
気楽に英語で冗談が言える仲間がいる。あちらからは、人生の長生きの秘訣を大真面目に載せてきたのだが、私は、 ユーモアで返したのだった。その内容は、「長生きするには、腹半分で治め、良く歩くことである」と言うものだった。「私は逆の生活をしている。どうしたら、生き延びられるんだ?」と。
日本人同士だと、こうはいかない。相手に気を使い、気軽に冗談を言うのが難しい。その点、英語を使うと ハードルが下がる。英語はストレートに表現できる。気分も軽くなるのは私だけか。。。。風は吹いている。
その声を聞こうとするには、耳を澄まし、無心になることが必要かもしれない。では、無心になるには、どうしたらいいのだろうか。それには、夢中になることがひとつの方法かもしれない。
ここ一ヶ月ほど、村上春樹に夢中になり、文章を書いて来た。そして、花見に来て気づく。自分がいつの間にか、村上春樹ワルードにどっぷり浸かった生活だった。
それまで気づかなかった物語のつながりが見えてきた。すると作家の苦労を垣間見た。緻密に計算され、計画的に書かれたつながりのある村上氏の小説には、脱帽するばかりである。
追伸
風は過去の物語の結末を知らせてくる。それは、誰にもある影である。いわば、自分の立ち位置を明らかに提起して来る。その時、自分が素直にその声を聴けるかどうかであると思う。影と向き合う勇気と冷静さがあるか。その強さがあるか。
影を切り離すのではなく、自己を影と同化させて、消化していく。それが難しい時に心を辿る文学が生まれる。風からノルウェイの森への旅であり、それからダンスダンスダンスにつながり、世界の終わりと ハードボイルドワンダーランドを通り、ねじまき鳥クロニクルで結論を得る。
しかし、完全には自己完結していない。さらに、それは、海辺のカフカに継承され、1Q 84に発展していく。ますます大きくなる舞台は様々な娯楽性をはらみ、社会的な ヒーローに育って行くが、心は成長が塞がれたまま、未解決になっている問題を抱えている。
外的な仕事は、必ずしも本人が納得する人生を歩めない。それを解決するには、色彩のない多崎つくると彼の巡礼の年の旅まで待つことになる、つくるは全ての疑念を晴らし、新しい人生を始める。作家人生を賭けた物語のつながりは、しびれるものであった。
最後に、主人公の僕の周りで亡くなっていった人物達、特に直子、キズキ、鼠の3人には、冥福を願って止まない。
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