村上春樹 10 蛍が森へ | 人生と旅・読書 村上春樹感 アメリカ放浪記

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蛍からノルウェイの森への進化

 

短編集の作品である「蛍」の冒頭部分は、ノルウェイの森の第二章から始まる文章と酷似している。

 

「昔々、といってもたかだか十四、五年前のことなのだけれど、僕はある学生寮に住んでいた。僕はその頃十八で、大学に入ったばかりだった。」   蛍

 

「昔々、といってもせいぜい二十年ぐらい前のことなのだけれど、僕はある学生寮に住んでいた。僕は十八で、大学に入ったばかりだった。」    ノルウェイの森

 

蛍から、ノルウェイ森は成長したのである。蛍は登場人物も限られており、ワタナベにあたる僕、直子にあたる彼女、地理学を学ぶ突撃隊にあたる同居人、自殺したキズキにあたる仲の良い彼、にすぎない。

 

蛍は、ノルウェイの森へと進化して、ベストセラーになった。文庫本39ページの短編が、上下巻の大作に化けたのである。

 

登場人物が増え、生き方を多様化し、それぞれ掘り下げていく手法は、村上氏の小説の手法が進化してているのが良く分かる。

 

蛍では、彼女を待ち、「彼の魂ともとれる蛍と戯れている僕」で終わっている。

 

ノルウェイの森では、キズキも直子も死を選び、「僕は緑を求めて叫んでいる」で終わる。僕の奮闘努力はすべて徒労に帰する。

 

ノルウェイの森は、旅客機内での僕の懺悔から始まる。そして、僕の叫びで終わる。首尾一貫している。

 

直子がアリ地獄に落ちた原因は、キズキの自殺だが、ワタナベとの関係を結ぶことにより、闇ははっきりと形になり、深淵化していく。

 

ワタナベも、直子を救おうとするが、関係を持つほどに、直子はワタナベから離れていく、負の連鎖をどうすることもできない。

 

直子は、キズキのもとに行くしか選択肢はなくなっていった。皮肉にも、ワタナベは、直子と生きようとしていた。二人の心の溝は、深く、乗り越えられるものではなかった。

 

村上文学の中でも、ノルウェイの森は純文学であり、現実の物語とは遠く感じるほどに、登場人物が現実味を帯びてくるという、逆説的に私たちをひきつける魅力がある。

 

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