1973年のピンボールは1969-1973の僕の物語である。
20歳から24歳の学生時代の生活を、乾いた感覚で描いている。
この小説のキイワードは「直子」と考えられる。
言わずもがなノルウェイの森のヒロインである。
ここにも、また井戸が出てくる。精神的な暗闇としての象徴である。
僕は、ピンボールで自己変革を目指そうと、最高得点をたたき出す。
他方、双子姉妹との相変わらずのデカダンス生活を送っている。
鼠は、葛藤の中に自己変革のため、大学を辞め街に帰ってくる。
私の友達にY君という色白の秀才がいた。
アパートで思索と読書の日々を送っていたが、故郷に帰っていった。
人生と向き合えば向き合うほど、葛藤してしまう年齢であった。
私は、頭が良く、先が見える人間ほど苦悩は大きいと知った。
直子との距離を、3フリッパーのスペースシップで埋めようとした僕。
さよならも言わずにいなくなった彼女をひたすら探し求めていく。
そんな中で、鼠は旅立ち、ジェイズ・バーを去っていく。
鼠は、もう一人の僕の投影のような存在であり、生き方を物語っている。
こう見てくると、この小説は、隠喩的な描写に満ちている。
物事が僕の周囲で、象徴的に起こり、展開していく。
僕は自己変革しようという意識も薄れ、同じ日々を送っている。
ビールやバーボンウイスキーの香る怠惰な日々と重なりつつ。
追伸
君のピンボールは、何だったろうか。私のそれは、剣道だった。自己と真正面で向き合うと、余りにも頼りなく、不完全で、何とかもっと人間として成長できないものかと、、負けそうな自分を立て直すための、手段、それだった。
僕は、ピンボールで高得点を出すことに夢中になり、いや、それは、いなくなった女への想いの代償行為なのである。私の時代は、インベーダーが全盛時代を過ぎたとはいえ、まだ、喫茶店にテーブルとして置かれていた。
友達は、1・2時間そのゲームで過ごしていたが、私は、やる気にもなれず、隣で本を読んでいたのを覚えている。そんな、喫茶店を利用しては、友達とだべる(話すこと)か、ゲームで時間をつぶすか、読書する時代だった。
自己変革という言葉は使わずに、自己改革、あるいは自己鍛錬という言葉を使っていた。美術部とワンダーフォーゲル(山岳部)の友達と、大学近くの喫茶店で、授業のない時など過ごしたものだった。
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