住民投票 | ebisuのブログ

住民投票

沖縄の与那国町で陸上自衛隊の沿岸監視隊を配備することについての賛否を取るという名目で住民投票が実施されました。

最近、この住民投票が各地で実施されているようですが、私には何故住民投票を行うのかよく分からないところがあります。一番分からないのは、これを実施する場合の首長や議会のこれに対する考え方なのです。

今回の与那国町の場合は町長はこれに反対だったのでしょうが、町議会が住民投票条例を決議してしまいましたので仕方が無かったのでしょう。町議会の定員は6人で、与野党3人ずついるそうですが、与党から議長を出しているため決議をとると野党案が通ってしまう状況にあります。

住民投票とは、元来どのような位置づけにあるのだろうか。憲法第95条には「特定の地方自治体のみに適用される特別法を制定しようとするときは、その地方自治体の住民による住民投票の結果、過半数の賛成がなければ制定できない」との規定があります。

今話題になっています大阪都構想の住民投票はこれに当ります。大阪市を自治体として無くしてしまう法律の制定ですから大阪市民の判断を仰ぐという趣旨です。大阪市民が大阪市なんて要らないと判断すれば、その法律の制定後未来永劫関西から大阪市が無くなる事になります。大阪市をなくした後、そこにどのような自治体を作るかは、又別の法律によるのでしょう。

憲法の他、自治体の合併などに関しては特別法が、自治体が特に必要とする場合にはその自治体が条例を制定して実施する場合などがあります。私が分からないのは、法で定められた住民投票ではなく、各自治体が独自に条例を定めて実施する住民投票なのです。事実、その手の住民投票には法的拘束力がなく、単に住民の意見を聞くだけという意味合いに過ぎません。ただし、全住民にある施策の可否を問うていますから、首長はそれを無視すれば次の選挙に影響があると判断し、政治的にそれを考慮する場合が多いでしょう。

この手の住民投票には首をかしげるような内容が時にしてあります。例えば最近行われた所沢市の「学校にエアコンを設置するについての賛否」を問うようなものが適当かどうかでしょう。そんなものは行政の小さな事務的な判断ですから、首長が政策判断で行うことに従うのが民主主義の大原則です。民主主義は、全てを自分達で決める事ができればそれに超したことは無いのですが、逐一全てを住民の判断に委ねる事が不可能ですから、代表者を選挙で選びその者達に総括的に自治を任せているのです。大切な判断をする場合も、選ばれた首長や議員は選挙民の批判に耐えるだけの判断をし、説明しなくてはいけない。その判断を住民に投げてそれで判断の責任から逃れてはいけないのです。

住民は、時として目先の利害に左右されます。それがないように、見識ある代表者を選び自治体百年の計を見据えた施策を委ねているはず。

住民の自治への直接介入をする方法として条例の制定の請求権がありますが、この規定から「税と手数料」に関するものが除かれているのは示唆深いのです。自治法に条例制定權が定められた時には、この除外条項はなかったのですが、法を施行してみると出てくる請求のうちかなりの部分が税の減免条例請求だったようで、の支払義務を負うのは嫌だという自治の原則を揺るがすようなものの判断は住民に任せるのは適当ではない事から、税等に関するものが外されたようです。

与那国町が実施した住民投票は、国家の安全を守る国の設立基本に関わる大切な施策です。そのような国防に関する事柄に、一地方自治体の住民の判断が入っていいはずはありません。しかも、この度の住民投票条例では、選挙権のない中学生や、日本国とは関係のない外国人まで投票権を持つという極めて疑問の多い投票でした。そして、投票総数が約1,500票という僅かなもの。中学生や外国人の票で現地に混乱を招く恐れもあったのです。

現在、東支邦海では、中国の艦船が国境を無視して航行している事実があります。隙を見せれば尖閣諸島への上陸も辞さない構えもあります。中国は南沙諸島で、他国の領域へ基地建設をした実績も持っていますので、そのような中国を利するような「平和主義」による基地建設反対の住民判断はそもそも住民投票に馴染まないと言わざるを得ません。

与那国町の意思は、町長選挙で示されているはず。日常的な町長の判断が町民の意思と違うと思うのであれば、次の選挙でその方を選ばなければいいのです。そして、町長は、厳しい判断であっても町民から選ばれた誇りと自信を持って、その時々の施策判断をする義務があります。安易に個別の判断を住民へ投げてしまってはいけないでしょう。

最近の傾向として、なんでもかんでも住民投票という風潮が出てきていますが、意に染まない事に関しては代表者に従わないとの表れであるとしたら、議会制民主主義の原則からは幼い考え方だといわざるを得ないのです。