そういえばというか、バレンタインの季節ですか。

 

どこで私の情報が漏れたのか、やたらと「メイプル味」のチョコレートを頂きます。

 

流石にこれじゃぁメイプルだらけじゃないか。いくらなんでもねぇ。

 

ま、即日完食したからいいけども。

 

私の体がメイプルの香りになってしまうと思って、新しくいらした方に聞いてみようかと考えていたら、聞くまでもなく「なんか部屋全体がメイプルシロップの匂いがする」と言われてしまいました。

 

ば、ばれた(^▽^;)

 

またまた、それはオーバーでしょ。

 

と思いながら、自分で体のあちこちの匂いを嗅いでみたら、本当になんだかメイプルシロップの匂いがする!

 

もしかして喰い過ぎたかな?一気に。

 

 

 

今日の帰りに電車に乗ったら、結構な混み具合。なんか同じ時間にこんなに沢山の人と一緒にギュウギュウしているなんて、この時間を生きているって感じがしましたね。

 

ある程度まで自己の頭脳で生き、動いているのでしょうけども、大きな部分では自分という概念ではなくて、大きな何かに動かされているかのような感覚。

 

そう考える自分が、その動かされている小さな自分の中にいるという事に何だか笑いがこみ上げてきた。

 

大きな「キミ」ばれちゃってるんじゃん。みたいに。

 

この大きな私を動かしている「キミ」が、何だかどうも出しゃばりなんだよね~。そう感じます。小さな自分的に。

 

シッポが丸見えになっちゃっている感が満載。引っ張ってみようかな?

 

 

人間の死とはどこからかという議論は様々であって、現代の中心は「医学」によって判断される(脳死の議論はあるが)けども、それは物体的な現象。

 

しかし、医学や現代科学というものを介さずに「死はどこからか?」と単純に考えたら、例えば脈が無くなっても、瞳孔が反応しなくても、髪や爪が伸びている最中は死していないという理屈もごもっともでしょう。

 

生きていることに重きを置いて、死することが絶対的な最後という思想の中では、科学的医学論に偏るのも無理はありません。

 

じゃあ私の中にある大きな「キミ」は、その時一緒に滅するのかと考えたら、きっとそれはないかな?と感じる小さな自分がいる。

 

こんなシッポまで見えてしまっている出しゃばりが、一緒になんて消えないんじゃないかな?


きっと。


 

 

 

下のは、サヴァン症候群の方が描かれた絵。


一瞬この光景を見ただけなのに、後で自宅に帰って脳裏の記憶だけで描きあげるという驚異的な能力。


それでいて、ビルの窓の電気が点いている所とか、下の車や人々まで正確なんですよね。


人間の脳ってものは全てにおいてパフォーマンスを封印しているんじゃないかな?そしてそれは、絵を描いたり記憶をしたりする部分だけではなくて、全体的な能力に対しても同じく。


これ描けるレベルで考えたら、テレパシー能力だってなんらあっても不思議ではない。