今日は



妊娠8ヶ月で空に旅だった
長男(第一子)の命日です


20年目のこの日
何かしたいと考えてたものの

お墓も遠く
義実家のお墓にいれるんじゃなかったかなぁと後悔しながらも
義曾祖父や義父と入ってるんだから寂しくないか
と思ったりもしております


わけわからなくなったな


20年経った今でも
死産に至る数日の事や
出産する朝の事や

産声をあげなかったあの瞬間や


対面した我が子の事や


抱いてやらなかった後悔
小さな棺桶の重み

小さな骨壺


はっきり覚えています


考える時間はだいぶ少なくはなって来たけれど


平成9年生まれの人に会うと
『このくらいになったのかぁ』
とか
『生きてたらどんな子になってたのかなぁ』とか

我が家はどうなってたのか

子供たちは?と

タラレバを考えます


ドラマの『コウノドリ』はみたいようなみたくないような…で見れてません



以前は違いました



同じ境遇の人を探して

本を読んだり、話を聞いたりしては
自分だけじゃないんだと慰めてるようなところがありました


今は
逆にあの辛さを思い出すのが嫌で
避けてるかもしれません


日常に追われて忘れているようでも
何かあるとやっぱり子供を失った悲しみは変わらず甦ります


時間が経って変わったことは
妊婦さんや新生児を見たときや出産報告で、心がざわつかなくなったこと

数年は
正直心から喜べなかった自分が嫌で

それも辛さに拍車をかけてたんですが


今はそれはなくなりました


生きてたら二十歳か~


今、小四の学校行事やらサッカーやらに追われてると
二十歳の子のお母さんというのが、全く浮かびませんが(いないんだから当たり前)


ピーぺーが元気に生きててくれる事に感謝して
この忙しさもイライラも
生きててくれるからできることなんだと

大切にしていこうと思います


もちろん自分も元気じゃないとできないですね


今朝も無事送り出せました

ありがとう




20回目の命日に
久々の更新でした