窓が開かれている | たまちの日常

たまちの日常

飲食店で働く52歳主婦です。
一日のしめくくりに思うこと、
なんでもないような日常、
毎日記録しています。

 

日曜の朝のリビングより

 

 

 

 

 

 

 

日曜美術館をチラっと見る。

 

 

うるしを塗った上から彫刻刀で掘ると、

青い下地が見えてきてとても綺麗だった。

 

 

 

 

 

おふうの卒業作品展を見にいく。

 

 

 

幾つかある中で、

50号ほどのサイズのやつ。

 

 

 

ネットで依頼がきて一枚1万円で

描いてるいつもの恐~いイラスト(笑)

は封印して、ちゃんと一般の人に見せる

高校生らしい絵にしたのだと。

 

うんうん。

 

 

 

 

そう、日常って美しいよね。

 

 

 

 

 

 

どなたかのミニミニ日本画、

好きだったやつ。

 

 

 

 

いつもぱっと目がいくのは青いのばっかり。

 

 

 

 

私の実家は専業農家で、小・中学校で

生徒の親の仕事は農家率90%以上だった。

育った環境は、山と川と畑と海しかない。

 

中学になって電車を乗りついで友達と

町に出るまでは、映画を観たり、

アート的な作品に触れたり、

旅行をすることも一度もなかった。

 

山の畑から朝日や夕陽を拝んだり、

草、木、実、葉、砂、石などを集めたり

蟹、ザリガニ、蝉、だんご虫、クワガタ、

てんとう虫、カナブンを捕まえたり、

コンテナで家を作ってごっこ遊びや

広告の裏にお絵かきをしたり、

新聞紙を折り紙にして遊んだ。

 

なーんにもなかったなあ、と思う。

そしていっぱいあったことも思う。

 

 

 

そこらの草や花や木の植物や、

空や海の水面をずっと見てると、

時の経過で光や風にふれるたびに

色や形が違っていく。その一瞬一瞬が

完璧で美しいでしかないことに、

あるとき気付いたことを・・・

思いだした。

 

 

スケッチブックを持って、

ペンを持って、じっと草を見る。

 

風に揺れて、ゆるっと、草の先。

何の、誰の意図も入ることのない、

枝、葉、色、形、そのたたずまい、

あまりに、ありのまま。

そこにあるそれが全部。

描かんでええやん、って

描けなくなった。

 

 

 

人間は自然や何かに感動して、

なんとか自分の感じたその感動を

誰かに伝えたい、捉えたい、残したい、

近づきたいって思うから、描いたり

撮ったり作ったり、するのかな。

 

そしてそれを人が見たとき、

作り手の人のフィルターを通した

“心の熱量、振動”が伝わるから、

作品をみて、感動するのだろう。

 

人って愛しい存在だと思う。

 

 

 

 

 

夜はタラとブリの鍋を作る。

 

冬はやっぱり鍋だなあ。

 

 

 

 

 

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本日もお休みで、家でひとりで

ゆっくり過ごす。

 

 

お昼寝をしてる間、

ごく微量の電流みたいなのが

体に流れ続けていてとても心地よい。

 

そしてネットでみた部屋にいる

夢をずっとみていた。

 

 

 

 

 

 

これね。

 

 

 

 

 

 

これとか。

 

 

 

 

 

おパパや、2人の子供たちは、私が

全ての窓やカーテンをすぐ開けるので、

シャッと閉める。外から見えるよって。

見えてもええやんって思うのだけど、

ママは危機感ない、だって。

 

 

 

 

私は、大きな窓がいっぱいあって、

カーテンが全て開かれていて

外からの音や光が入る家が好き。

 

太陽や月、空や雲が見えて、

人がゆくのを感じたい。

 

 

 

ヤング店がそうなので、

私はすごく、心地がよい。

 

 

 

 

 

 

 

さあて!休みの日も一瞬で終った。

 

夜は餃子を作ります。

 

餃子と、ビールだ!